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丸井 祐二先生 コラム

 「この病気になって始めて考えました。」
 口元に笑みを浮かべながら、その方は私に語ってくれました。主治医から、臓器提供について説明してほしい患者さんがいる、と連絡を受け訪室したとき、患者さんが語られた開口一番がこの言葉でした。一家の大黒柱であるその男性は、がん末期の状態でした。
 「こんな身体になってから、家族のありがたさが分かり、家族のため、人のために何か出来る事はないかと考えて、亡くなった後の提供を思いつきました。自分が家族に直接役立つことはないけれど、自分が誰かの役に立てば、僕の家族もきっと誰かが助けてくれるのじゃないかと思うんです。」
 家族に囲まれて話される口調は穏やかでも、そのまなざしは強く真剣でした。

 外科医として移植医療に携わってきたなかで、これまでは治療できなかった臓器不全の患者さんが、移植を受けて社会に元気に復帰していく姿を見ることは、何にも変えがたい喜びと誇りです。この気持ちは移植医療に関わる人、全てに共通していると思います。そんな中でいつも心の中にあるのは、臓器提供をしてくれた方、ドナーのことです。なぜなら、ドナーの尊い気持ちと肉体があってはじめて移植医療は成り立っているからです。生体移植であれば家族愛の深さに感服します。亡くなった方の提供の場合はその方の生き様や、提供を決心したご家族の語りつくせない思いを考えてきたつもりでした。
 事前に主治医から、患者さんには病気についてすべて告知していると聞いていました。父として、夫としての無念さ、人として死に直面する恐怖に心は荒れ狂わんばかりであっても不思議は無いのに、人を思いやる気持ちを強く持つこの方に出会ったことは、大きな衝撃でした。
 「ありがとうございます。」思わず口をついて出た言葉でした。目にあふれる涙をこらえ、私の心に湧き出た気持ちはただただ感謝だったのです。
 「ご病気でお体が大変なときに、そのように提供のことを考えてくださったことに対して、私個人として、そして社会全体の立場からも心から感謝します。そのときが来た際には、医学的な理由で提供いただけない臓器を除いて、お気持ちに添えるようスタッフ一同協力することをお約束します。」
 「そうですか。ありがとう。ああ、よかった。」と言われた時の安堵の表情は今でも忘れません。
 がんなどの悪性腫瘍のある方は、腎臓などの臓器を提供することができないことはその場では言わないつもりで、事前にご家族に伝えてありました。しかし、角膜(眼球)の提供は可能です。苦し紛れに聞こえるかもしれませんが、私には、この方の尊い気持ちを大切にし、希望をかなえる約束をすることが最重要に思えました。
 同席した看護師もはらはらした表情でいましたが、退室した後の顔からは迷いが消え去っていました。
 「これまで、悪くなっていくこの方に何をお世話してあげられるのかと悩んでいたけれど、今は、悲しいけれどこの方の望みをかなえてあげることを考えて強い気持ちになれる。」とその看護師は言いました。
 その方が希望されていた一時帰宅を、病状の重さに許可しあぐねていた主治医も決心し、家族に付き添われて外泊に向かわれました。

 帰院後、時を待たずにそのときが来て、厳かに角膜の提供がなされました。
 みんな悲しみのどん底でしたが、ご本人が希望していたことを果たせたという気持ちがわずかな光となったのではないかと思います。

 医療は多職種が協力し合うチームで成り立っています。スタッフは誰もが患者さんのためを思い、命をさらけ出して目の前にいる患者さんとの、魂のぶつかり合いの中で、投げかけられた問いに自分で必死に答えを出し、実行できるよう一人ひとりが努力し、その結集として最高の力を発揮している、と信じています。そして多くの場合は、患者さん自身がその答えを示してくれていたことに気づかされる毎日です。
 自分と自分の周りの人の、静かに燃える命の火を大切に思う気持ちに立ち返るとき、今考えることは何かが見えてくると思います。


 この手記を当時の病棟看護師長にお届けしたところ、当時のことを思い出したお便りをいただきました。それをご紹介したいと思います。




 Aさんは50代の部長でバリバリとお仕事をされている方でした。
 5月に下血で紹介された時すでに肺と肝臓に転移していました。腹痛もあり、通過障害を起こしている大腸の一部を切除する手術をし、その後5ーFUの抗がん剤をしておられました。8月頃から食事が取れない・・黄疸が出現し始め減黄をトライしますが癌のため胆管ステント挿入をあきらめる事になりました。
 そのころから、発熱、食欲不振など出現し始めいよいよ「自らの死」を確信されるようになったようでした。
 この頃、スタッフに時々激しい口調で怒ったり、自分の体がままならない事に泣いていた・・・と言う記録がありました。
 病棟の皆がAさんの病気と闘っていたように思います。
 そんなある日突然、臓器提供の話をAさんが申し出られたのです。
 8月の後半のころです。亡くなったのは9月の初めでした。
 記録から、臓器提供を申し出て先生とお話をしてからとても穏やかになったと書かれていました。

 Aさんからは大きな事を教えていただきました。
 先生がAさんの臓器提供のお話をし、ドナーカードに奥様と共にサインをされ、そのカードを私に見せてくださったときの事です。
私は、「Aさんってすごい人ですね・・・。こんな状況で臓器提供をすることを決心されるなんて・・・」と言いました。
 すると、思いもかけない言葉が返って来ました。
 「僕はちっともすごくない。なぜ、臓器提供を申し出たかわかる?今、僕は痛い!!苦しい!!不安!!僕がこの世の中からいなくなっちゃうんだよ!!こんな状況とても耐えられないよ!!このどうにもならない状況を乗り越えたって、待っているのは家族との別れだよ。この世の別れだよ。何にもなくなっちゃうんだよ。これで今の苦しみを超える事などできない・・・。でも、僕の死を待っていてくれる人がいると思うと頑張れるような気がする・・・。だから臓器提供を思いついたんだ。これは、だれかのためじゃなく自分の為なんだ」と・・・。
 このAさんの言葉に人間ってどのような状況になってもだれかの為に・・・と思うことはすごいエネルギーを与える事なんだ、と思いました。
 その後、2人の若者に角膜が提供され、順調だとコーデイネーターの方から連絡を受けました。さっそく奥様にお電話をしたら「主人は生きているんですね・・・」と静かにおっしゃったことを思い出します。




 この事は学生や新人によく話します。

 Aさんの生き方は少し早すぎた人生でしたが、こんな風に多くの人にすごく多くのものを、確実にこの世においていかれたのだと思います。

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