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ドナーインタビュー

棚橋 千珠子さん
お名前: 棚橋 千珠子さん
レシピエント: 旦那様
移植後: 約13年(取材時)
病院: 名古屋第二赤十字病院
ドクター: 打田和治先生
取材日: 2011/12/17

名古屋第二赤十字病院ドナーインタビュー

夫婦二人三脚 二人で一人

名古屋第二赤十字病院 ドナーインタビュー第1回目は、約13年前に旦那様のドナーとなられた棚橋千珠子さんです。
棚橋さんは日本初の『生体腎移植ドナーの会』を2003年に立ち上げられました。棚橋さんはドナーの会の代表として、年1回の『ドナーの会』や月1回の『ドナーの広場』の開催の他、日本臨床腎移植学会でその活動状況を発表されたり、NPO法人日本移植未来プロジェクトより、37名のドナーの方の想いが綴られた手記『~生体腎移植ドナーの想い~「絆」』や、手術前のドナーの方向けの冊子『ドナーになろうと思うあなたへ』を発刊されるなど、幅広くご活躍されています。

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ドナーとなるまで

棚橋さんがドナーとなるまでのご主人の病状について教えてください。

棚橋さん
主人は1957年頃発病し、腎炎と診断され、1年間休学したものの療養効果がなく、慢性腎炎となりました。
大学在学中に5ヶ月間国立病院に入院したそうですが、治療効果は無く、気休めにしかならなかったようです。当時の病院は極めて閉鎖的で、患者に対して治療方針などの情報提供が全くなかったとの事です。
1967年に結婚し、仕事に就き、それから約15年は食事療法を行い、安静に努めておりました。
1995年頃から食べ物のにおいで吐き気を催すような症状が出てきた為、当時の主治医に症状を訴えましたが、「透析が必要になったら透析施設を紹介します」との回答のみでした。その後1996年後半からは、めまいや冷や汗、意識の低下、鼻血、錘を引きずって歩くような症状が出てくるようになりました。
1997年3月、名古屋第二日赤病院を紹介され転院し、腎臓内科にかかりました。その後保存療法に入ったのですが、保存療法の期間が妻としては一番大変でした。
1999年3月に主人の知人が献腎移植手術を受けたという話を聞き、移植手術というものを初めて知りました。腎臓内科の医師に尋ね、移植外科の先生にお話を伺う事になりました。
そして主人は1999年5月末に血液透析を開始し、同年8月18日に生体腎移植手術を受けました。

1993年に知人の方が移植をされたというお話を聞く以前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちだったのでしょうか?

棚橋さん
全く知りませんでした。主人は、「自分の病気は移植治療は出来ない」ものだと思い込んでおりました。「将来的には透析治療しかない」と話しておりました。

棚橋さん
移植医療を知った後、腎臓内科の先生に、「何故これまで移植という治療があるという事を教えて頂けなかったのでしょうか?」と伺ったところ、先生は、「ご主人のお母様は80歳近く高齢の為、ドナーとなる事は難しいですし、ご夫婦間の移植の可能性に関しても、実際に移植が出来なかった場合にガッカリさせるといけないと思ったので、お話ししませんでした」とお話されました。

打田先生
2000年より以前は、内科医の中にも、その医師の知識不足が原因で、「移植手術が出来ないケースを考えると、患者さんに気軽に移植の話は出来ない」と考える医師もおりました。
本来であれば生体腎移植は原則として親族(6親等以内の血族と、3親等以内の姻族)間で可能だという事や、献腎登録の話も出来たはずですね。

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