10年後、20年後のドナーインタビュー 第2回目は、約28年前、61歳の時に息子さんの生体腎ドナーとなられた、山田孝子さんと、約2年前の56歳の時にご主人の生体腎ドナーとなられた山田ひとみさんです。孝子さんは腎提供後から約28年後の89歳の現在も、毎日とても元気にはつらつと過ごされています。ひとみさんも、約2年前の腎提供後も、提供前と変わらず充実した毎日を過ごされています。1回目の移植手術から2回目の移植手術に至るまでのお話や、移植によってもたらされた充実した生活、家族の笑顔など、さまざまなお話をお伺いすることができました。

レシピエントの移植までの経緯

  • 1968年(16歳)頃 ネフローゼ症候群と診断される。
  • 32歳頃 腹膜透析導入
  • 1986年(34歳) 生体腎移植手術  ドナー(孝子さん)61歳
  • 55歳頃 血液透析再導入
  • 2012年(60歳) 生体腎移植手術  ドナー(ひとみさん)56歳
  • 現在:1回目の移植後約28年、2回目の移植後約2年※取材時

腹膜透析導入へ

1回目の移植をされるまでの息子さん(レシピエント)の病気の経過について教えてください。

孝子さん
息子は、移植の2年前ごろから体調が悪くなり、倦怠感やかゆみで、仕事に支障が出るほどになりました。そして、当時通院していた総合病院の主治医から、透析を受けるために自宅近くにある病院を紹介されました。その病院では腹膜透析を勧められ、職場でも自分で行うことができるということで、腹膜透析で治療を受けることになりました。
しかし、腹膜透析導入から3年ほど経過すると、腹膜炎などのトラブルで、透析の効率が低下したため、週1回の血液透析を併用するようになりました。当時(1980年代)の血液透析の性能は現在と比較にならないほど悪く、透析後は、血圧の上昇と激しい頭痛のため、自力で帰宅することもできず、息子の嫁であるひとみが、病院と自宅の送迎をしていました。ひとみが息子のつらそうな状況を見かねて透析病院の主治医に相談したところ、「腎移植」という選択肢があることを知りました。

孝子さんはどのような経緯でドナーとなられたのですか。

孝子さん

孝子さん
透析病院の主治医からは、「腎移植は、レシピエントとドナーの血液型が一致しなければできない(※現在は一致していなくても可能)」という説明を受け、私の血液型はO型で息子はB型だったため、移植はできないと思いました。そのため、ひとみが生家に相談し、B型であるひとみの実父がドナーになることを決心してくれました。
そして、主治医の紹介状を持って、移植施設の先生を訪ね、移植についての説明を受けました。ところが、当時は、「親子間でのみ移植が認められており、義父との移植は倫理上できない(※現在は6親等内の血族、配偶者と3親等内の姻族が生体腎ドナーとなることができる)」ということでした。
その一方で、輸血と同じく、O型からB型へは腎移植ができることを知り、詳細な血液検査の結果、私から息子に提供できることが分かり、移植を決意しました。

息子さんの病状が悪化する以前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちでしたか。

孝子さん
「移植」という言葉は聞いたことがあるような気がしますが、知識は全くありませんでした。

ドナーとしての不安や心配はどのように解決しましたか。

孝子さん
不安や心配はありませんでした。移植がどういうことかもよく分かりませんでしたが、「息子の苦しみが無くなるために移植が一番いい方法なら、私の腎臓をあげたい」と思いました。


移植手術を終えて

そして無事に移植手術を終えられたわけですが、手術の痛みはどのくらいの期間続きましたか。

孝子さん
昔のことではっきりとは覚えていませんが、痛みはそれほどなかったように思います。でも、当時、ドナーの手術は開腹手術(※現在は腹腔鏡手術が主流)で、おなかを結構切りましたので、まだ傷痕が残っています。

1回目の移植手術の際には、ひとみさんがお二人の看病をされていたのですか。

ひとみさん
そうですね。義姉の手伝いを受けながら義母(孝子さん)と主人の両方を掛け持ちで看ていました。当時は息子がまだ小さかったので、最初の1カ月は子どもを実家に預け、病院につきっきりでした。息子には少し寂しい思いをさせてしまいましたね。電話口で泣かれたこともありました。

孝子さんは入院中、術後の痛み以外で困ったことや、つらかったことはありましたか。

孝子さん
自分自身のことではないのですが、腎移植を受けたものの、拒絶反応が起こりうまくいかなかった方がいらっしゃるのを見て、つらい思いをしました。隣のベッドにいらっしゃったので、なんとも言えず、いたたまれない感じがしましたね。
息子も退院後3回拒絶反応が起こったので、その時は、「もう駄目かな」と思いました。


ひとみさん
主人は術後1年くらいの間に3回拒絶反応が起き、入退院を繰り返しました。そこから1年過ぎた辺りからは少し落ち着き始め、それからは大事を取りながら慎重にやってきました。

孝子さんは手術の際にはどのくらいの期間入院しましたか。また、退院後はいつごろから仕事や家事に復帰されましたか。

孝子さん
入院期間は、はっきりとは覚えていませんが、2~3週間だったと思います。手術後は、仕事も家事も一旦止めて、花と習字の習い事を始め、スイミングにも通いました。何かやらないとボケてしまいますからね(笑)。
また、友人とツアー旅行に行くようになり、西国三十三カ所巡礼もしました。


移植後の様子