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ドナーインタビュー

大越明子さん
お名前: 大越明子さん
レシピエント: 旦那様
移植後: 約10年(取材時)
取材日: 2014/06/18

「10年後、20年後のドナー」インタビュー

息子が運んだ「ありがとう」

 ドナーインタビュー第3回目は、約10年前、45歳の時にご主人の生体腎ドナーとなられた、大越明子さんです。透析で苦しむご主人を、なんとか救いたいという気持ちから移植医療にたどり着き、ドナーとなられた時のお話や、移植後の現在、ご主人と一緒に旅行などを楽しんでいらっしゃるご様子など、さまざまなお話をお聞きすることができました。

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苦しかった透析

ご主人の腎臓病が悪化する前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちでしたか。

大越さん
主人が46歳で透析を開始したころ(2000年ごろ)、当時通っていた大学病院の先生から、「米国では移植という治療法もありますよ」というお話をお聞きしたことはありましたが、その頃は、日本でも移植ができるということは想像もしていませんでした。

ご主人の病気の経過を教えてください。

大越さん
主人は、大学生ぐらいの時から、「腎臓が悪い」ということで、入退院を繰り返していました。ただ、当時はCT検査がなく、エコー検査だけだったので、単に「腎臓病」という診断でした。その後、透析導入の2~3年前に通院していた病院にCTが導入されて、多発性嚢胞腎だということが分かったようです。その時すでにクレアチニン値がかなり高かったようですが、体感的にはそこまでひどくはなかったようです。

ご結婚されたころ(1982年ごろ)は、ご主人はお元気だったのですね。

大越さん

大越さん
そうですね。結婚したころは、主人からは、「もうよくなった」と聞いていました。その後も、子どもが生まれたり、仕事では、独立して商社経営を始めたりと、比較的元気に普通に暮らしていたのですが、徐々に腎臓は悪くなっていきました。透析導入前に通院していた病院の先生から、「ご主人は、他の人よりは長く生きられないでしょう」と言われた時には、初めて人前でぼろぼろ泣いてしまいました。
そして2000年、主人は46歳の時に透析導入となりました。主人は、「そろそろ透析だ」ということは分かっていたようですが、心配をかけまいと、私には黙っていたようです。初めて透析の光景を見た時はとてもショックでしたね。

ご主人が透析導入されてからの生活はどうでしたか。

大越さん
主人は、透析を受けた日は、体中が熱くなるせいか、夜も眠れず七転八倒する日が多く、本当に大変でした。眠れないので、飲めなかったお酒を無理して飲みながら、本を読み、眠る努力をしていましたね。観劇などに行っても、レストレスレッグス症候群(むずむず脚症候群)が止まらず、体中が震えていました。移植後の今は、そういう場所へ行っても何ともありません。

そのようなご主人を見ている奥様も、とてもつらかったのではないですか。

個人写真1食事管理表

大越さん
そうですね。本当に、「この状況をどうにかしたい」と思いました。夜、お月様を見て、「何でうちだけこんな悲しい思いをするのだろう」と思っていました。もっと苦しい状況にいらっしゃる方もたくさん居るのに、その時は、「なぜ自分だけが…」と悲劇のヒロインになってしまっていたのですね。
透析初期は、塩分、カリウム、リン、水分の制限などを徹底した食事管理もとても大変でした。毎日、1つ1つグラムで量りながら料理を作り、献立やカロリー、塩分、カリウム量などをノートにきちんと記録していました。透析を受けていた病院は食事管理がとても厳しく、栄養士の方から、「こうした方がいい」と指導を受けることもありましたね。低タンパクのパンを取り寄せたりもしましたが、本当においしくなくて、「こんなにおいしくない物を食べてまで…」と思い、さすがに止めました。
当時は一生懸命でしたので、あまり感じませんでしたが、今もう一度、「あの時と同じような食事管理をしろ」と言われたら、「できるのだろうか?」と思うくらいに大変でした。

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