名古屋第二赤十字病院 移植者インタビュー第4回目は、約7年前に旦那様がドナーとなり生体腎移植手術を受けられた、山本英子さんのインタビューをお届けします。
移植手術前の腹膜透析を行っていた頃のお話や、移植手術後、旦那様の税理士事務所の総務、広報担当として、FP(ファイナンシャルプランナー)の講師として、一般社団法人愛知県腎臓病協議会の監事として、そして、真向法体操の講師や、ラジオのパーソナリティとして、幅広い分野でご活躍されている現在の様子をお聞きする事が出来ました。

山本さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1971年 アレルギー性紫斑病発病 腎炎を併発
  • 1988年 結婚 食事療法、降圧薬服用開始
  • 1992年 長男出産 保存療法継続
  • 1999年 腹膜透析導入
  • 2004年 生体腎移植手術

腹膜透析と家事、育児、仕事の両立の日々

腎不全の症状が出始める前の様子を教えてください。

山本さん
運動が大好きな明るく元気な子供でした。小学校2年生のマラソン大会では学年1位に入賞しました。

腎不全の症状が出始めたのはいつ頃からですか?またその時の様子を教えてください。

山本さん
どうしても、1人子供が欲しく、医師に反対されましたが、1992年に長男を出産しました。出産後、自分の身体より子育てを優先してしまい、徐々に腎機能が悪化していきました。
夕方になると足がだるくなり、むくむ。貧血で顔色が悪い。立っていること、階段を登ることなどが辛い等の症状がありましたが、家事、育児、仕事等を続けていました。

腹膜透析にはいつから入られたのですか?また、何故血液透析ではなく腹膜透析だったのでしょうか?

山本さん
1999年11月(当時36歳)より腹膜透析を始めました。主治医からは血液透析を勧められましたが、当時まだ子供が小学校に入学する前でしたので、育児、仕事の時間を確保したく、書籍で腹膜透析の治療について勉強し、主治医にお願いして開始しました。私以外は、ほとんどが血液透析治療の方でした。
また、この時、腎移植についても先生にお聞きしましたが、「一般的治療ではない」と、ほとんど情報提供がなく、「あまり症例も無いし、移植したとしても2,3年で駄目になってしまいますよ」と言われました。

打田先生
しかし、12年前でも平均移植腎生着年数は、生体腎移植で14,5年はあったと思いますよ。最近はもっと成績が良くなり、移植腎生着率は10年で9割を超える時代です。名古屋第二赤十字病院の生体腎移植の成績では、20年でも5割を超えています。

打田先生
その後、腹膜透析で期待通りの治療は出来ていましたか?

山本さん
血液透析に比べて食事療法が緩やかで、食事を美味しく食べる事が出来ましたし、腹膜透析のバックを持って、沖縄へ旅行をしたり、仕事をしたりと、自分の時間も持てたので、選択は間違っていなかったと思いました。
ただ、腹膜透析開始後3年半くらい経った頃には、若干の透析不足があったようで、顔色が悪いとか夕方になると脚がむくむ、などの症状がありました。貧血は改善されていなかった為、エリスロポエチンを投与していました。

打田先生のオーラに触れて

移植医療を知ったきっかけを教えてください。

山本さん
腹膜透析治療開始後より、主治医が変わり、私より2歳上の若い先生になりました。その先生はとても親身になってくれる良い先生で、私が日頃から色々と治療法について勉強している事をご存じで、移植の講演会がある事を教えてくれました。そして夫と二人で講演会を聞きにいきました。
講演会は偶然にも打田先生が講師でした。たまたま講演会が始まる前に、打田先生とすれ違った際、『とても素敵な方だな、もしかしてこの方が先生なのでは?』と思っていたら、やはりそうでした。
打田先生の大変分かりやすいお話と、先生の素晴らしいオーラに触れ、移植医療を知るきっかけとなりました。それまで、お医者さんというと、『僕は医者だ、君たちは患者だ』という様な上下関係がある感じを受けていたのですが、打田先生は人として本当に素晴らしい方だと、1回お話を聞いただけで思いました。
『打田先生にお任せしたら、全てうまくいくのではないか』と思いましたが、『でも、誰から腎臓を頂くのだろうか?』という気持ちでした。