夫と家族の深い愛情、そして移植手術へ

打田先生
その後、何故移植手術を受けようと思ったのですか?

山本さん
講演会の帰り道、夫と二人でお茶を飲みながら、「いいお話だったね」と話をしていた時に、夫から、「僕の腎臓で良ければあげるよ」と、さりげなく言われました。
愛情溢れる言葉を夫から頂いたものの、大切な夫の身体に傷を付けることはとても出来ないし、まだ腹膜透析でなんとか生活できるのではないか・・・という思いに揺れ動きながら、その後、2年が経ってしまいました。
その後、徐々に透析不足となり、体調も悪くなってきた頃に、夫から、「僕がいつまでも元気で健康とは限らない。あげられるうちにあげたい」という温かい言葉を再度頂き、その言葉に甘え、移植を決意しました。腹膜透析を始めてから5年半後の事でした。

NPO法人日本移植未来プロジェクト 企画 「絆~生体腎移植ドナーの想い」に、山本さんの旦那様は当時のご自身のお気持ちをこの様に書いていらっしゃいます。以下「絆~生体腎移植ドナーの想い」より抜粋

・・・透析開始後から3年後(妻39歳)に、透析の主治医から案内された移植のシンポジウムに夫婦で参加した。当時、妻は腎移植希望の登録をしていたが、なかなか順番はまわってこないという状況であった。講師は、のちに主治医となる打田先生。事例を交え、免疫抑制剤の発展で、夫婦間の移植も珍しくなくなったこと、術的にも危険性もほとんどないということなどのお話を聞いた。技術的にも法的にも障害がないなら、1つあげてもいいかなと思った。シンポジウム終了後、妻に気持ちを伝えた。
私がこれまで受けた外科的な治療といえば、小学4年生の時に、プールに1回転して飛び込んだ際、飛び込み台の角に頭をぶつけて3針縫ったことがあるだけである。そんな私が、手術、それも移植手術を自ら申し出るとは、今では自分でも信じられないが、当時は、不思議と何の不安も抵抗も感じなかった。家族が健常な腎臓を必要としている、私がそれを提供できる。それだけのことであった。 ・・・

打田先生と初めて移植について話したのはいつ頃ですか?

山本さん
移植手術4ヶ月前くらいだったと思います。打田先生のもとに夫と二人で出向きました。
2時間くらいかけて、移植医療のこと、術前検査、術後のことなどを納得がいくまで、お話して下さいました。それまで、お医者さんにここまでじっくりと色々な疑問に答えて頂いた経験が無かったので、そんな風に色々な心配を取り払ってくれる事に本当に驚きました。そのお話の中で、移植の為の検査に進む事になりました。

移植手術が決まった時の心境を教えてください。

山本さん
自分の事より、夫の身体のこと、そして、夫を産んでくれた夫の両親の事が気になりました。
夫の両親とは、同じ敷地内に一緒に住んでおりましたが、どの様に話をしたらいいのか、とても私からは話せなかった為、夫から話をしてもらいました。夫は、「英子さんに腎臓をあげるからね」と既に決まった事のように話をしたらしく、夫の両親も、「あげた後のあなたの体は大丈夫なの?」と一言だけ聞いたらしいです。夫は、「先生にも聞いたけど大丈夫だよ」と言い、夫の両親は、「それならばいいんじゃない?」と言ってくれたらしいです。
夫の両親は、本当はもっと色々と聞きたかったに違いない、きっと色々な思いがあったに違いないのですが、胸の中に納めてくれ、移植手術に進む事が出来ました。夫も、夫の両親も、本当に素晴らしい人だと感じました。

移植手術が決まってから手術までの期間はどのくらいでしたか?

山本さん
約3カ月でした。いつも通りの生活を送りながら、移植手術後1ヶ月間の家庭、子供(当時小学校6年生)の事をどうするかを考え、準備をしました。幸い父母、義父母が手伝ってくれ、本当に恵まれて手術を受けることができました。

支えてくれた人への感謝

移植手術を終えた時の心境はいかがでしたか?

山本さん
術後、尿が出た時の嬉しさは、障害者から健常者に戻ったような感覚でした。これからどんどん元気になれる気がしました。

ドナーへの想いを聞かせてください。

山本さん
大きな病気をしたこともなく、手術を経験したこともない夫が私のために8時間にも及ぶ手術を受けてくれたこと、また、大切な臓器をひとつ提供してくれたこと、もし私が夫の立場であったら提供することができたか・・・。夫の深い愛情に、ただただ、感謝しています。

担当医への想いを聞かせてください。

山本さん
手術前は、まな板の上の鯉の気持ちで、夫と私の命を先生方に託す思いでした。
ただ、名古屋第二赤十字病院のドクタ-は、打田先生を始め、皆さんが本当に素晴らしく、そして、インフォ-ムドコンセントが確実に行われていると感じていたので、大丈夫だと思いました。

厳しい状況を乗り越え、明るい日々へ

その後は順調でしたか?

山本さん
手術後退院してからの1年間は少し大変でした。退院後1年の間に3回入院しました。1回は尿路感染で、退院後1週間で入院しました。その後、急性拒絶で1回、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)で10日間位入院しました。退院後は風邪などを引かないように、ものすごく気をつけていたのに、何故肺炎になってしまったのだろうと、とてもショックでした。

先生、名古屋第二赤十字病院では、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)の予防のために、バクタは投与しているのですか?

打田先生
現在はバクタの予防投与を行っています。ただ、2004年の頃は行っていなかったと思います。
2004年頃までは、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)は、私達の700例の移植手術件数中、2,3例しか起こっていませんでしたので、予防投与は行っていませんでした。しかし、その後カリニ肺炎の流行があり、当院でも山本さんが罹った頃から、予防投与を行うようになりました。

山本さん
術後1年間くらいの間は免疫抑制も強いですし、自分で気をつけていても、体内の血中濃度など、分からないところが多いので、何かあったら、すぐに病院に連絡した方がいいですね。

その後6年は何事もなく過ごしていらっしゃるのですか?

山本さん
普通の健康体の人より元気だよね、と良く言われます(笑)。

打田先生
退院後、仕事はいつから始めましたか?

山本さん
実は術後退院して、その日から仕事を始めてしまったので、それも体にはよくなかったかな、とは思っています。

打田先生
移植された方には、退院して2週間経ったら仕事を始めていい、とお話しています。外出も退院後2週間経ってから、ドナーの方には1週間経ってからにしましょう、とお話しています。退院後の仕事の再開に関しては、個人個人によって状況の違いもあると思いますので、その時々に応じて相談を受けています。