トップページ  >  インタビュー  >  レシピエントインタビュー  >  鈴木 太さん

レシピエントインタビュー

鈴木 太さん
移植種類: 献腎移植
お名前: 鈴木 太さん
ドナー: 献腎ドナー
移植後: 約30年(取材時)
病院: 名古屋第二赤十字病院
ドクター: 打田和治先生
取材日: 2011/10/15

名古屋第二赤十字病院レシピエントインタビュー

尊い命への恩返し

 名古屋第二赤十字病院 移植者インタビュー第5回目は、約30年前に献腎移植を受けられた、鈴木太さんです。

 献腎移植までの経緯や、移植後、先生との信頼関係のもと、きちんと自己管理をし、医療現場でのお仕事や普段の生活を通じて努力され、移植歴約30年の現在もご活躍されている様子を、その秘訣も含めてお聞きする事が出来ました。

Crl2 5
        

突然の透析導入

腎不全の症状が出始める前の生活を教えてください。

鈴木さん
 小学校6年生の時に、学校の検診でタンパク尿を指摘されましたが、その頃は現在の様にCKD診療のガイドラインもありませんでしたので、「出来るだけ肉は食べずに魚を食べ、あまり運動しないように、安静に過ごすように」とだけ言われていました。その後定期的に検査をすることもありませんでした。

症状が出始めたのはいつからですか?また、その時の様子を教えてください。

鈴木さん
 大学1年生の時に釣りに行ったのですが、その日はとても寒く風邪を引いてしまい、今から思えばそれがトリガーとなって一気に状態が悪くなってしまいました。その時点で既に末期腎不全の状態でした。心不全の為、寝ると呼吸も苦しく、即刻入院となりました。後で聞いたら、BUNの値は100mg/dlを超え、クレアチニンの値も20mg/dl近くあり、かなり深刻な状況だったようです。恐らくその前から眼底出血もあったと思うのですが、普通の生活が出来てしまっていたので、非常に悪い状態になっている事に気が付きませんでした。
 すぐにIPD(間欠的腹膜透析)を施行し、1週間位で目も見えるようになりました。

その後血液透析を開始されたとの事ですが、その時はどの様なお気持ちでしたか?

鈴木さん
 その後転院し、足首に外シャントを作って血液透析を開始しました。血液透析を始めた時は、IPDに比べて、こんなに楽な治療があるのだと思いました。私が血液透析を開始した頃は、まだ透析の歴史も浅く、腎不全の治療に関する情報も非常に少なかったです。



30年前の透析療法

打田先生
 私たちの腎移植グループは、鈴木さんが透析を開始する5年前の1972年6月に第一例目の生体腎移植を愛知県がんセンターで始めました。1970年代の中頃は、まだまだ透析療法の病院格差もありましたし、腎移植手術を行っている施設も非常に少なかったですね。私たちが、腎移植手術の場を名古屋第二赤十字病院に移し本格的に始めたのは1977年です。

鈴木さん
 確かに透析療法の情報ももちろんの事、移植の情報も少なかったですね。当時の私が移植に関する知識を持っていたら、もしかしたら親子間の生体腎移植という可能性もあったのかもしれません。私が住んでいた岐阜ではほとんど情報がありませんでした。
 透析に関しても、昔のダイアライザーは洗濯機を少し改良したような感じのもので、膜が破れて透析漕が真っ赤になってしまうこともありました。

その当時の透析療法の予後はどのくらいだったのでしょうか?

鈴木さん
 今思えば多少大袈裟だと思いますが、私が血液透析を始めた時には、私の母親は、医師に「3ヶ月くらいだ」と言われていたようです。ダイアライザーの性能もよくありませんでしたので、あまり食べたり飲んだりしないようにと言われていました。

打田先生
 当時、私も腎移植と共に透析療法にも携わっていました。記憶では、導入患者さんには、「これから5年は保証できるけど、それ以降は・・・」と、お茶を濁してお話ししていたと思います。

お気に入り記事に登録

1   2   3   4   次へ >>

レシピエントインタビュー【長期生着(移植後20年以上の方)】

レシピエントインタビュー【献腎移植】