夢の薬の登場

その後は順調でしたか?

鈴木さん
移植後、入院をしたのは2回のみで、特に大きな問題もなく、30年近く過ごしています。

打田先生
名古屋第二赤十字病院では、1977年に腎移植手術を始めたのですが、献腎移植の成績はよくありませんでした。しかし、1982年の11月から献腎移植手術でもシクロスポリンを使用することができるようになり、腎移植成績は格段に向上しました。鈴木さんが、1984年に当院の17番目のシクロスポリン使用献腎移植の患者さんとなったことは非常にラッキーでした。

鈴木さん
当時、シクロスポリンの事は、本当に、何年も前から「夢の様な薬」と聞いていました。私が移植手術を受ける前の話ですが、透析関係の仕事をしておりました関係で、アメリカで移植をしていらっしゃった先生にシクロスポリンの勉強会をして頂いた事があり、日本でもいずれ承認されるという話は聞いておりました。
シクロスポリンが出る前は、移植腎の生着に関しては、いい人はいいが、駄目な人はあっという間に駄目になるという状況でしたが、シクロスポリンは多くの人にとって生着がいい薬でした。
当時は服用のやり方が今とは全く違っていて、薬をスポイトで口に直接入れていましたね(笑)。

打田先生
当初、シクロスポリンは未承認薬であったため、スイスのバーゼルから薬を直接輸入していました。その当時のシクロスポリン(サンディミューン®)の剤型はカプセルではなく液剤でした。また、水に溶けないため溶解用のココア粉末がセットされ、ココアに溶かして内服するようになっていました。私達は患者さんにきちんと正確な量を内服して頂くために、「まず原液をスポイドで口の中に直接入れ、それからココアで流し込んで下さい」と指示をしていました。チビちゃんには、それも難しいので「原液をパンに吸いこませ、そのパンを食べさせてください」と工夫してお母さんに指導していました。
液剤という不便さはありましたが、シクロスポリンがどれほど画期的かと言いますと、鈴木さんまでの17名のシクロスポリンを使用した献腎移植患者さん全ての移植腎が1年以上生着し、且つ、そのうちの6名の患者さん(35.3%)は20年以上生着しました。これは、プレドニゾロン+アザチオプリンの時代からは想像できない快挙でした。

30年前は、献腎移植の件数は、どのくらいあったのでしょうか?

打田先生
愛知県は全国でも飛びぬけて献腎移植が多く、1980年代の10年間に299件の献腎移植が行われています。年間53件行われた年もありました。また、移植成績も良かったです。
私たちの施設でも、鈴木さんが献腎移植手術を受けた1984年には、献腎移植を12件行っています。最近の献腎移植現況はと言いますと、昨年の2010年が10件、今年2011年が現時点(11月19日時点)で7件です。約30年経っても、献腎移植の件数が増えていないいという事は非常にショックですね。

鈴木さん
シクロスポリンが出る前は、移植腎は5年もてばいい方だと思っていました。

打田先生
シクロスポリンがなかった時代の献腎移植は、もっと成績が悪かったです。しかし、シクロスポリンが登場し、腎移植手術の成績が生体腎移植はもとより、献腎移植でも非常に良くなりました。急性拒絶反応の発生頻度が、ガクーンと減りましたね。合わせて、当院では当初から免疫抑制剤の血中濃度測定を行い、適切な投与量のシクロスポリン決定する薬物濃度モニタリングを行っていました。急性拒絶反応だけでなく、使い過ぎによる副作用も防止することを心掛けたことが、移植の成績を良くした事に繋がったのだと思います。

当時、血中濃度はどの様に測っていたのですか?

打田先生
現在では血中濃度測定キットが発売されており、シクロスポリンの濃度測定は容易です。しかし、当時は、現在のように市販の測定キットがありませんでしたので、自分達で測定法を開発し、液体クロマトグラフィーを用いて濃度測定を行っていました。すべて、手作りでした。

移植医療を多くの患者さんへ

打田先生
鈴木さんが、腎移植件数が少ない当時に腎移植手術を選択することができたのは、腎移植の情報が入りやすい環境(病院)で働いていたという事もありますよね。一方、現在、鈴木さん自身が腎移植を受けた医療者として、透析施設で多くの腎不全患者さんと毎日接して働いておられます。医療者と同時に患者さんでもある立場におられる訳ですね。どんな風に患者さんと対応されていますか?

鈴木さん
現在、仕事柄若い患者さんに接する事も多いのですが、透析と移植、どちらがいいのかという事に関しては結論が出ているわけですから、特に若い人には、「献腎移植を待っても、必ず来るという事ではないので、とりあえず親と相談をしてもらい、出来るなら生体間移植をするべきだ」という話をしています。
私が手術を受けた施設の事しか説明は出来ませんので、名古屋第二日赤病院の事しか話はしませんが、「まずは医師の話を聞いてきなさい」という風に話をしています。それだけのことを一言言っただけで、患者さんにすごく感謝をされますね。
私自身、移植をした時にいい薬が出ていたという事もありますが、名古屋第二日赤病院で手術を受けられた事は非常にラッキーだったと思っています。