尊い命に思いを馳せて

大和田さん
そんな中、2011年3月11日の大震災が大きな転機となりました。 突然の巨大な津波の流れに、なす術も無く奪い取られたたくさんの尊い命に思いを馳せ、自分の後ろ向きな生き方を恥じ、これまでの生き方を劇的に変える手段として「移植」を強く意識するようになりました。

この時には移植についてどの程度の知識をお持ちだったのでしょうか。

大和田さん
既に血液透析と腹膜透析を10年以上経験していたので、その間に、腹膜透析をしていた仲間の内、何人かが移植をしていました。勉強会で彼らの話を聞くにつれ、初めて献腎移植の登録をしようと思いました。

震災を機に、「生きよう」という気持ちが強くなったのですね。

大和田さん
震災を機に、20年近く前に亡くなった息子のことも思い出し、彼はつらい手術をいろいろと経験して頑張っていたのに、移植医療という手段があるにもかかわらず、それに挑戦しない自分を恥ずかしく思い、そこで初めて献腎移植の登録をすることにしました。

突然の「ドナー宣言」

そして、専門医のところに登録に行かれたのですか。

大和田さん
移植の希望を初めて伝えた先生は、副甲状腺の摘出手術をしてもらった東海大学病院 腎代謝内科の角田先生でした。2011年3月末、大震災の余震がまだ続くころ、副甲状腺摘出手術後のフォローの外来受診時でのことでした。そこで、初めて移植の意思を示し、献腎登録のための検査をすることになりました。
ところが、登録のための検査を行い、その結果を聞きに行った外来で思わぬことがおきました。献腎移植登録の手続きに向けて、「この後の検査は・・・」と先生が話をしていると、それまで黙って診察に同席していた夫が、突然、「私がドナーになれますか?」と言い出したのです。献腎移植だけを考えていた私も角田先生もびっくりしました。


中村先生
ご夫婦では事前に何の話もされていなかったのですか。


ご主人

ご主人
全くしていなかったですね。角田先生と妻の会話を聞いているうちに、突然、「合えば自分が妻のドナーになれるのではないか」と思い、発言しました。実は、その前に参加していた移植勉強会で、夫婦や兄弟でも生体腎移植ができるという話を聞いていたので、それなら、と思っていました。


大和田さん
その勉強会では主人は居眠りをしていて、ろくに話を聞いていなかったはずなのですが(笑)。


ご主人(ドナー)
勉強会の時は、よく分からないし、いまいち実感が湧かない話でしたので(笑)。


中村先生
でも大事なところだけは聞いていらしたのですね。


大和田さん
勉強会に出るまで、生体腎移植のチャンスは私にはないし、献腎移植など全く望めないと思っていました。血液型が違っても移植ができることも、その勉強会で初めて知りました.


ご主人
私もそこでいろいろ初めて知りました。


大和田さん
ただ、私は勉強会でそのような生体腎移植の話を聞いても、「もらえる人はいないな」と思っていました。当時親も既にいなかったですし、兄弟もあり得ない、主人からの移植は想像だにしませんでした。

想像もしていなかったのであれば、ご主人の突然の申し出には本当に驚かれましたね。

大和田さん
本当に驚きました。驚いている私をよそに、夫からの生体腎移植の話はトントンと進み、「まずは調べてみてから」ということになり、夫がドナーになれるかどうかの検査が始まりました。
後で聞いたところ、私の頭の整理ができないままであった一方、当時、夫には固い意志があったそうです。私の腎臓病発症以来、夫はずっと私に寄り添い、苦楽を共にしてきてくれたのですが、私の方は気持ちが落ち込み、透析だけが生きる道というあきらめの境地でいました。そんな中、夫は、「もし移植の話があれば、自分がドナーになってもいい」と思っていたとのことでした。


ご主人
当時60歳を過ぎ、会社の方もそれまでと違い週2~3回の出勤になっていたのと、長期の休みも取り易かったのもあったと思います。まだ仕事をバリバリしていた時であれば、同じようなことを言えたかどうかは確かに微妙だったとは思います。

夫婦愛

ご主人からの申し出を受けて、その気持ちをすぐに受け止められましたか。

大和田さん
生体腎移植に向けた各種検査の結果、「適合した!」と聞いた時は二人で奇跡だと喜び、私もうれしさを隠せませんでした。
しかし、冷静になると、私は、「やっぱりあなたの健康な体を傷つけて、大切な腎臓を頂くわけにはいかない。もし、何かあったらあなたの親や兄弟に申し訳がたたない。」と伝え、決断ができずにいました。
また、検査をしていただいた角田先生からも、移植ができることが検査で分かった後も、「よく考えてから決断をしてください」と言われていました。

ご主人はドナーになれると知ったとき、どのようなお気持ちでしたか。

ご主人
妻を楽にできるものならなるべく早く楽にしてあげたかったので、一刻も早く移植手術をしたいと思いました。「早くやってもらおう」と何度も言っていました。


中村先生
「あげたい」と思うのも、「もらうのは申し訳ない」と思うのも夫婦愛ですね。

ご主人からの提供を受けて移植をするにあたり、心の葛藤はどのように解決されたのでしょうか。

大和田さん
夫からの生体腎移植の話が進んでいる一方で、私がなかなか決断できないでいるころ、移植の勉強会に二人で参加する機会がありました。横浜に東京女子医科大学病院の先生が来てくださり、そこで、生々しい手術の動画などを見せながら、とても具体的な話をしてくださいました。私は看護師ですので、職業柄、血を見るのは大丈夫だと思われるかもしれませんが、実は苦手なのです。そんな私が一番前の席に陣取り、食い入るように手術動画を見ていました。テレビでそういう場面が出るだけでも嫌だったのですが、その時ばかりは不思議と全然怖くありませんでした。
そこで、ドナーの手術について、「このくらいの傷しかできないのだな」と具体的に分かり、ドナーのリスクやその後についてもきちんと知ることができ、それを話されていた先生の自信に満ちたお姿を見て、気持ちが少しずつ動いていきました。

大和田さんにとっては、生体腎移植を知ったのも、最終的に移植を決断するに至ったのも勉強会だったということで、勉強会が大変重要な契機だったのですね。

大和田さん
はい、その通りです。また、精神科の先生との面談でもさらに心を動かされました。夫婦個別に面談をしていただいたのですが、亡くした息子の話をうまく引き出していただき、心に溜まっていた気持ちをうまく汲み取っていっていただいたおかげで、移植に向けて前向きな気持ちになることができました。
最終的には、精神科の先生からも、この夫婦なら移植をしても大丈夫だろうという判断をいただきました。

中村先生、こういうプロセスは全てのペアでしていらっしゃるのでしょうか。

中村先生

中村先生
生体腎移植を受けられる全てのペアで実施してもらっています。特にご夫婦の場合は、別れてしまえば他人なので、関係がきちんとしていて、ドナーが本当にあげたい気持ちになっているのか、もらう側もそういう気持ちに応えてもらえるのかどうかを確認しています。
倫理的なハードルを一つ設けて、それをクリアしないと移植を受けられないようにしています。

中村先生とはいつごろお会いされたのでしょうか。

大和田さん
各種検査が終わり、移植できそうだということになった2011年10月です。ようやく私が移植の決意をしたころでした。移植外科の専門医として東海大学病院に来られた中村先生に初めてお会いして、その誠実さに、安心して手術をお任せしたいという思いが強くなりました。