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レシピエントインタビュー

林幸二さん
移植種類: 献腎移植
お名前: 林幸二さん
ドナー: 献腎ドナー
移植後: 約5年(取材時)
病院: 九州大学病院
ドクター: 北田秀久先生
取材日: 2014/07/26

九州大学病院レシピエントインタビュー

負けない心

九州大学病院レシピエントインタビュー第7回目は、約12年の透析治療をへて、数年前に献腎移植を受けられた、林幸二さんです。献腎移植希望の登録後、積極的に透析や移植について学び、透析の合併症を乗り越えて移植手術に臨んだお話や、移植後、ご家族と過ごす時間が増え、再就職もされ充実した生活を送っていらっしゃる様子などを、林さんの奥様も交え、お聞きすることができました。

Vol7keii
        

かゆみとの闘い

まず、病状が出始める前から、病状が出始めたころの状況について教えてください。

林さん
28歳ごろまでは病気一つしない健康的な生活を送っていました。野球やソフトボールなど、スポーツも好きで、町の青年団の活動としてバレーボールもやっていました。
29歳の時、森林組合の観光部門が新規事業として始めた「そうめん流し※」のレストランで働き始めたのですが、夏場はお客さんがとても多かったため忙しく、トイレに行く暇もありませんでした。そのような状況が続いたところ、最終的には、夜、トイレに行っても尿が出なくなり、血の塊が出たのです。近くの病院に行くと、すぐに別の総合病院を紹介され、急性腎盂腎炎で入院となりました。その時は3カ月くらい入院し、完治する一歩手前の状態にまで回復したのですが、仕事の都合で完治する前に退院しました。
退院後も定期的に通院し、服薬を続けていましたが、特に自覚症状が無いまま徐々に悪化し、慢性腎炎に移行していきました。透析導入の半年前ごろから、食後の吐き気やむくみなどが出てきて、透析導入後は、高血圧や、体中のかゆみなどの症状が年々強くなっていきました。
※そうめん流しは、宮崎県の高千穂峡(1959年創業)ならびに鹿児島県指宿市唐船峡(1962年創業)が発祥地。

先生、林さんは急性腎盂腎炎が完治していれば、その後、腎不全に移行することは無かったのでしょうか。

北田先生
急性腎盂腎炎のみであれば、治った可能性もあると思いますが、その後、腎機能が悪化しているということは、なにか基礎疾患があったのだと思われます。

食後の吐き気やむくみなどの尿毒症の症状が出始めたころは、透析しか選択肢は無かったのでしょうか。

林さん
当時は治療の選択肢は透析しか無く、腎移植の話はありませんでした。血液透析導入から約2年後に腹膜透析も試してみたのですが、結局、血液透析に戻りました。

その後、透析治療は順調でしたか。

林さん
透析導入した当初は、尿もある程度出ており順調だったのですが、透析を開始して10年が過ぎたあたりから、体がきつくなりました。透析中に血圧が下がり、足がつってしまったこともありました。また、体中のかゆみが本当にきつかったですね。


奥様
主人は移植前日まで背中をかいていましたね。見ていてとてもつらそうでした。


北田先生
かゆみを訴える透析患者さんは多いです。透析患者さんのかゆみは「たかがかゆみ」という範疇のものではありません。もちろんかゆみの症状が無い患者さんもいらっしゃいますが、かゆみがあると、それが原因で眠れない方もいらっしゃいます。眠れないと体力を消耗してしまうので、いろいろな問題が出てきてしまうのです。痛みなどの症状ですと、周りの人にもつらさを理解してもらいやすいと思うのですが、かゆみというのは、なかなか理解してもらうのが難しいですよね。でも、患者さんにとっては、ものすごく大きな負担なのです。


林さん
私が経験したかゆみは、皮膚の表面上のかゆみではなく、体の中からのかゆみという感じでした。例えば、体を動かしたときや、恥ずかしくて赤面したときなど、少しでも体温が上がると、稲わらがチクチク刺さるような感じで、ウワーっと体の中からかゆくなるのです。


北田先生
そのかゆみも、移植後間もなくピタッと止まる方が多いんですよ。


林さん
本当に移植したら治りましたね。あまりのかゆさに、タオルを氷水に入れて冷やして、背中に貼っていたほどだったのに、移植後は急にかゆみが無くなりました。

かゆみ以外にも透析の合併症はありましたか。

奥様
主人は透析を受けていた後半は、血圧がとても高く、収縮期血圧は180~190mmHgくらいが普通でした。移植を受ける少し前には、もうこれ以上処方できる血圧の薬は無い、というくらいまで最大限に処方されていました。


前向きに学ぶ大切さ

献腎移植に関しては、いつ、どのようにして知ったのでしょうか。

林さん
透析導入から2年後くらいに、透析病院にいらっしゃった移植経験者の方から、献腎移植についてお聞きしました。そして、病院のスタッフに相談したところ、福岡県が移植の先進県ということを知りました。当時はまだ、私が住んでいる鹿児島県では移植がほとんど進んでいませんでした。

その後、献腎移植の希望登録はいつごろされたのでしょうか。また、移植までの期間はどのくらいでしたか。

林さん
献腎移植の情報をお聞きしてからほどなくして、移植希望の登録をし、そこから約12年間待機しました。

献腎移植の希望登録後は、移植について勉強はされましたか。

林さん

林さん
移植については、インターネットで、(公社)日本臓器移植ネットワークのホームページを見ながら勉強しました。当時は、周りに移植に詳しい人が誰もいなかったので、インターネットの情報が頼みでした。
一方、病院の患者会では、透析についての勉強会や情報共有をしていました。例えばカリウム制限について、自分でいろいろな資料をインターネットで探し、情報をまとめて資料を作り、他の患者さんに配ったりしていました。その他にも、病院の栄養士さんを呼んで、透析患者さんのための調理勉強会なども開催しました。男性の患者さんの奥さんたちにも一緒に集まってもらい、料理の講義を聞いてもらいましたね。


北田先生
献腎移植の希望登録はしていても、林さんのように、待機期間中に積極的に勉強していらっしゃる方は多くないと思いますので、すごいことですね。

患者会も活動が盛んだったのですね。

林さん
そうですね、患者会ではいろいろな活動をしていました。旅行の企画では、自分で下見をしてコースを作り、バスの手配をしたりしていました。いろいろなことを企画して、段取りを立てるのがとても面白かったですね。当時は若い透析患者さんも多かったので、多くの仲間もできました。
また、年1回の臓器移植普及推進キャンペーンには、率先して参加をしました。移植を待つ身としては当然だと思いましたね。現在待機をしている皆さんにも、ぜひ患者会に積極的に参加することをお勧めします。

待機期間中は、「いつか移植の機会は来る」と思っていましたか。

林さん
はい、希望は持っていました。「いつか移植をするんだ、絶対に負けないぞ」ということはいつも思っていましたね。

手術への不安などはなかったですか。

林さん
全然ありませんでした。どちらかと言えば、前向きでしたね。あまり物事を悲観的に考えない性格なのです。「先生たちにお任せすれば、良くなる。移植して良くなるんだ。」と考えていましたね。

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レシピエントインタビュー【献腎移植】