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レシピエントインタビュー

浜頭弥生さん
移植種類: 生体腎移植
お名前: 浜頭弥生さん
ドナー: 弟さん
移植後: 約3年(取材時)
病院: 札幌北楡病院
ドクター: 三浦正義先生
取材日: 2013/12/27

札幌北楡病院レシピエントインタビュー

弟からの贈り物

札幌北楡病院 レシピエントインタビュー第3回目は、約3年前に弟さんがドナーとなり生体腎移植手術を受けられた浜頭弥生さんです。
腹膜透析を受けていた頃のお話や、移植手術後、患者会を立ち上げ移植医療の啓発活動を積極的に行っていらっしゃる現在の様子など、様々なお話をお聞きすることが出来ました。

Vol3keii
        

腹膜透析へ

病状が出始める前の生活について教えてください。

浜頭さん
若い時から体を動かすことが好きで、自分は健康だと思っていました。結婚前は幼稚園教諭をしていましたが、漁師の夫に嫁いだ後は、子育てをしながら漁業の手伝いをしていました。今思い返せば、3人の子供を産む度に妊娠中毒症になり、尿から蛋白が出ていました。

いつ頃から病状が悪化してきたのでしょうか。

浜頭さん

浜頭さん
1995年(38歳)頃から体のだるさや立ちくらみがありましたが、家事、仕事、子供の世話などに追われ、自分のことはいつも後回しになっていました。
そして、2002年(44歳)、貧血や立ちくらみ、寒気などがあったため、地元の病院に行ったところ、ヘモグロビンの値が既に7g/dl(女性の基準値は11~13g/dl)になっていました。その時は婦人科の病気を疑われたため、まずは婦人科に行きました。すると今度は胃などの消化器の病気を疑われ、消化器科に行くと、「消化器の病気ではないですね」と言われて、ようやく隣の循環器科に辿り着きました。その時には既に、透析寸前という状態になっていました。初めは「透析」と言われてもピンと来ず、名前は知っていても、どのような治療なのかも分からず、何故突然そのようなことになるのだろうと 感じていました。
それから2週間の間に、「血液透析、腹膜透析、移植という治療法がある」という程度の話をされましたが、移植に関しての詳しい話は聞かされませんでした。当時説明していただいた先生も、「私は移植については全然詳しくないのでうまく説明も出来ないですし、(道内では)札幌に行かないとできないですよ」とおっしゃっていました。
「札幌に話を聞きに行きますか?」という提案もあったのですが、当時はまだ子供が家に居ましたし、自分が家を空ける事 も考えにくかったので、自然と血液透析と腹膜透析のどちらかを選択することになりました。

腹膜透析を選択されたのはなぜですか。

腹膜透析中の様子

浜頭さん
一度は血液透析を考え、シャントを作る寸前までいったのですが、手術直前で、「もう一度考え直したい」と言って病室に戻りました。「やっぱり腹膜透析にしようかな」と先生に話すと、「腹膜透析をしてみて、駄目だったら血液透析をすればいいから」と言われました。また、当時は街から遠いところに住んでおり、血液透析に通うのも大変でしたので、最終的に腹膜透析を選びました。



三浦先生との出会い

移植に関しての情報や知識は、いつ、どのようにして知ったのでしょうか。

浜頭さん
腹膜透析7年目の2009年に、心臓のバイパス手術を受けた際に、心臓の病気でよく入院する私を見ていた従兄の奥さん(骨髄移植のコーディネーター)から、「弥生ちゃん、移植は考えないの?」と勧められ、初めてしっかりと移植医療について考えるようになりました。すぐに当時の主治医の先生に話をしたところ、移植施設に連絡をしてくれました。

移植手術を受けようと思ったきっかけについて教えてください。

浜頭さん
腹膜透析をしていた時に狭心症になり、ステント留置をして、冠動脈(2本)のバイパス手術も受けていました。そのため、さらに心臓が悪化しないよう、動脈硬化が進まないようにする必要がありました。透析をしたくないというより、透析を続けることによる動脈硬化の進行を止める必要がありました。
当時の日記には、「生きたい!! 子どもたちはどんなお嫁さんをもらうのかな。どんなお父さんになるのかな。もっともっと子どもたちの成長をみていたい。」と書いてありました。「まだまだ、夫や子供たちを残して死ねない・・・。母より先に死ねない・・・。」と思っていました。

その頃に三浦先生にお会いしたのですね。

浜頭さん
2009年9月、最初の移植施設で難色を示され、セカンドオピニオンで三浦先生に出会うことができました。先生は、「たくさんのリスクはあるけれど、一つずつクリアしていけば、移植できますよ」と話をしてくださいました。「このような話をしてくださる先生もいるのだな」と思いました。

三浦先生、浜頭さんのように心臓に疾患を抱えている患者さんの場合、移植ができる、できない、の線引きはどこに引かれているのでしょうか。

三浦先生

三浦先生
当院には、たまたま私と小中高が同級生だった伊藤という医師がいるのですが、彼は腎臓内科医である上に、もともと循環器内科の教室にいたので、心臓病も診る事ができます。その彼と密に相談しながら移植できるかどうかを決めています。もちろん、ある程度循環器の専門的な数値指標もありますが、術後の輸液の容量負荷に耐えられるだけの心機能があれば移植可能と判断しています。
ただ、学会でも議論されていますが、透析をされている方はその判断が難しく、数字で計れない部分も多く、線引きは結構難しいです。透析をしていて心機能が悪い人でも、移植をして透析状態を離脱すると心機能がとても良くなる人もいます。移植しても絶対に心機能が良くならないとわかっているような人は別ですが、一般的には移植をすれば心機能が良くなることはわかっているので、なるべく移植が出来るようにぎりぎりの所で色々と調整しています。

浜頭さんは三浦先生に会った後に、再度狭心症の発作を起こしていますね。

浜頭さん
そうです。この時は手術もしたのですが、動脈硬化が進んでいて、バイパス手術をすることができませんでした。今思えば、腹膜透析を長く頑張り過ぎていたのかなと思うこともあります。このタイミングで血液透析に移行しました。この時は、「もうこれでは移植もできないのではないか」と思っていました。
ただ、当時私が通っていた地元の病院で、先程も三浦先生のお話に登場した腎臓内科の伊藤先生(現、札幌北楡病院) から、「心臓のことはなんとでもなるし、私も4月から三浦先生のいる北楡病院に行くから、もう1回移植を考えてはどうでしょう」と励まされ、「もしできるなら、もちろん考えたい」と気持ちを立て直しました。

血液透析で少しは落ち着かれましたか。

浜頭さん
血液透析は10カ月受けたのですが、体調も落ち着いていました。血液透析は腹膜透析と違い、寝ていれば終わるということで、なるべく透析中は寝るようにしていました。そのために、あえて前日にあまり寝ないようにして、寝不足状態で毎回透析センターに行っていました。看護師の方から、「浜頭さんは針を刺して、私が3歩歩いたらもう寝ていますね」と言われるほどでした。

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