移植手術に向けての準備が始まる

その後はトントン拍子に移植手術に進んでいったのでしょうか?

濱崎さん
そうですね。出来るだけ早く移植手術が出来るように、ドナーの検査なども九大病院以外で出来る検査は別の病院で受けるなどして、早めのスケジュールを組み、準備を進めていきました。
ドナーの検査は、初めは主人も受けたのですが、私も主人も問題が無いと分かった時点で、主人には仕事もありますので、私がドナーになることを決め、その後の検査を受けていきました。

移植手術を受けるに際し、雄太郎くんとはどのようなお話をしたのでしょうか?

濱崎さん
雄太郎には「お母さんの元気な腎臓を雄太郎の体の中に入れるからね。必ず元気にしてあげるから心配しなくていいよ。」と話しました。
移植手術に関しては、詳しく話しすぎて、雄太郎が怖がることがあっては駄目でしょうし、そうかと言って、あまりにも軽く話を伝えておくと、手術当日に困惑するのではないかと思い、雄太郎が幼い頃から診て頂いていた先生に相談をしたところ、その先生が「私が資料を集めて説明するよ。」と言ってくださり、雄太郎に詳しく話をしてくださることになりました。
先生は雄太郎に「雄ちゃんの腎臓が悪くなったのはお父さんやお母さんのせいではないのだよ。でも、今回、お母さんの元気な腎臓が1つ雄ちゃんの体の中に入る手術をして、また元気に動けるようになるからね。『五体不満足』を書いた人を知っているね。自分の体と向き合って、しっかり生きているよね。雄ちゃんも、必ず強く生きていけるからね。だから、今回の手術を頑張っておいで。」と話をしてくださいました。
雄太郎は、しっかりと先生の話す言葉を聞いていました。

その後移植手術まではどの位の期間がありましたか?

濱崎さん
北田先生と初めてお会いしてから約3カ月後に移植手術をして頂きました。先生からは「学校があるので、手術は夏休みにしましょう。」と言われ、2011年8月5日に手術を受ける事になりました。

移植手術までの生活で特に気をつけていたことはありますか?

濱崎さん
北田先生からは「手術までに腎機能を悪化させてしまうと良くないので、野球も一旦止めて下さい。」とのことでしたので、休部することになりました。ただ、学校の体育ぐらいはしても良いとの判断でした。時期的に暑くなるころでしたので、脱水には気を付けるように言われましたが、たくさん水分補給すれば良い訳でもなく、きちんと排尿しているのかも確認しなければなりませんでした。
この頃は、瞼も腫れぼったかったので、水分をむやみやたらに摂ると肺水腫になる可能性もあるとの事でしたので気を付ける必要がありました。

お父さんの愛情の涙・お母さんの愛情一杯の贈り物

雄太郎くん、手術当日はどんな気持ちだった?

雄太郎くん
緊張しました。手術室に向かう僕を家族が見送ってくれたのを覚えています。僕は笑って手を振って手術室に入りました。僕が手術室に入る時、お父さんは涙をポロポロ流して手を振って見送ってくれました。

北田先生
雄太郎くんのお父さんは、普段はあまり泣きそうな感じの方じゃないですけどね(笑)。

家族

手術を終えた時の心境はどうでしたか?

濱崎さん
主人から聞いた話なのですが、手術室を出て家族が私に声をかけた際、1番初めに出た言葉が「雄太郎は?」だったそうです。私は全く覚えていませんが。
また、雄太郎は麻酔から覚めてすぐに「お母さん大丈夫?」と言ったそうです。
病棟にあがった頃には意識も少しずつはっきりしてきました。北田先生が、手術後一番初めに会いにきてくださり「無事に手術は終わったからね。」と優しく言ってくださいました。本当に嬉しくて涙がぽろぽろ出ました。「良かった。ちゃんと自分の腎臓をあげる事ができたのだ。」とほっとしたのを覚えています。

北田先生
私は出来るだけ手術が終わると会いに行くようにしていますので、その時も手術が終わってそのまま濱崎さんに会いに行ったのを覚えています。

濱崎さん
その後他の先生達も何度も診察に来て下さり「お母さんの腎臓はとてもいい腎臓で、雄ちゃんの体の中で元気に動いていますよ。きれいなおしっこが出ていますよ。」と言ってくださいました。