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レシピエントインタビュー

愛知医科大学病院レシピエントインタビュー Vol.2

山本康平さん × 愛知医科大学病院 小林孝彰先生、渡邉レシピエント移植コーディネーター

10月2日 の衝撃

透析を37年間続けてこられた中で、体調の変化はありましたか。

康平さん
透析導入から32年を過ぎたころから、腰が痛くなったり、胸が苦しくなったりと、いろいろな症状が出始め、68歳の時に腰の手術を受け、71歳の時に狭心症の手術を受けました。

透析歴が30年を超えたころからさまざまな症状が出てきたということですね。その頃、腎移植についてはどの程度ご存知でしたか。

康平さん
患者会の中で移植した人の話は聞いていたので、なんとなく知識はありましたが、私は透析歴も長く高齢なので移植は無理だと思っていましたし、移植をするにしても妻の腎臓をもらうしかありませんので、万が一妻の体に何かあっては嫌だと思い、移植は考えていませんでした。

献腎移植の希望登録はしていたのですか。

康平さん
初めのころは登録していましたが、移植の順番が回って来る可能性はないだろうと思い、途中で更新をやめてしまいました。

奥様は腎移植についてはどのようにお考えでしたか。

正美さん(奥様・ドナー)
透析導入当初、主人の母がドナーになるという話をしてくれたので、検査をしてもらったのですが、すでに高齢だったこともあり、提供は難しいと言われ、簡単に合うものではないと聞いていました。そのため、お義母さんでも駄目なのだから、他人の私が提供することは出来ないと思い込んでいました。

お二人とも腎移植は自分たちのこととは捉えていなかったにもかかわらず、腎移植をしようという話になったのはなぜでしょうか。

正美さん
ある日、主人から言われた言葉がきっかけです。日にちまではっきりと覚えているのですが、昨年の10月2日の昼食中のこと、突然主人から、「もし移植をすることになったら、俺に腎臓をくれるか?」と聞かれたのです。その言葉を聞いた私は衝撃を受けました。後から主人が言うには、その時点で移植したいという気持ちはなかったものの、あまりに私が無関心な感じだったので、聞いてみたということでした。

ご主人はその時のことを覚えていますか。

康平さん

康平さん
覚えています。私には移植は無理だと思っていましたが、患者会の副会長をしていた方が、奥様から腎臓をもらって移植を受けたので、その話を妻にしたのです。ところが妻は、「ふーん」とだけ言って、会話が終わってしまったのです。普通は、「それで、元気にしているの?」とか、もう少し何かあるだろうと思い(笑)、自分は移植する気はありませんでしたが、「くれって言ったらどうする?」と聞いたのです。


正美さん

正美さん
主人の話を聞いて、「私たちもできるかな?」などと言えばよかったのだと思いますが、その時は、30数年前の知識をもとに、移植は自分には関係ないと思っていたので、「へえ、そうなの」とだけ答えました(笑)。
でも、「くれるか?」と言われたことで、「あぁ、そうか!!」と気付き、そこから移植に関していろいろと調べ始めました。


ご家族には相談されましたか。

正美さん
息子と娘に話しました。もし今後、子ども達に何かあったら、と少し不安はありましたが、子ども達は、「お母さんがいいならいいよ」と言ってくれたので、もし何かあっても悔いはないと決めて、話を進めていきました。


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