東京医科大学八王子医療センター レシピエントインタビュー第2回目は、数年前に献腎移植を受けられた、大川弘子さんです。大川さんは40代後半に血液透析導入となり、その後約20年間、透析治療を受けられましたが、透析中も海外旅行に行き、ご自身でしっかりコントロールをしながら、好きなものを食べ、充実した生活を送っていらっしゃいました。透析中も移植後も、元気いっぱいの大川さんから、さまざまな元気の秘訣をお聞きすることができました。
大川さんが移植を受けるまでの経緯
- 40代前半 蛋白尿が出始める
- 40代半ば 血圧が高くなり始める
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48歳頃 血液透析導入
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60代半ば頃 献腎移植手術
透析をしながら海外旅行へ
まず始めに、移植手術に至るまでの経緯について教えていただけますか。
大川さん:
40歳ごろだったと思いますが、手指のこわばりを感じたため、リウマチかと思い病院に検査をしに行ったところ、「リウマチではありませんが、尿に蛋白が出ていますので、腎生検をしましょう」と言われました。その後、40代半ばには血圧が高くなり始め、48歳ごろに血液透析導入となりました。そして20年近く透析治療を続け、60代半ばで献腎移植手術を受けました。
尿蛋白が出始めるまでは、特に症状は無かったのでしょうか。

大川さん:
小さいころは扁桃腺が腫れることが多く、よく病院に行っていました。
20代後半に、扁桃腺が腫れて39度の熱が続いたことがあったのですが、恐らくその頃から腎臓が悪くなっていったのではないかと思います。今思い返せばいろいろ思い当たる節があるのですが、当時は病気だと思っていませんでしたので、普通に旅行にも行き、運動もしていました。
透析導入になる1年くらい前、ゴルフをしていた時に、脚が鉛のように重くなり上がらなくなったので、運動不足で歩けなくなったのかと思っていたら、実はひどい貧血だったことが分かりました。ヘモグロビンが6g/dl(女性の基準値はおおよそ12.1~14.6g/dl)しかありませんでしたので、医師からは、「よくこの値で普通に生活していましたね」と言われたのですが、疲れなどの自覚症状はありませんでした。
その後、突然生理が止まらなくなり、以前腎生検を行った病院に行くと、「すぐに透析をしなければなりません」と言われました。普通は腎臓内科に通う中で、透析導入が近くなるとシャントの手術を受けて準備をすると思うのですが、私はそのような準備もしていませんでしたので、急遽、首からの透析を行いました。
その後、透析治療は順調でしたか。
大川さん:
透析導入後はとても元気になりましたので、透析は私にとっては、全くと言っていいほどつらいものではありませんでした。透析を受けに行くことを嫌だと思ったことは一度もありません。
もちろん透析導入になった当初は、「これを一生受けなければいけないのだ」と思うと、ショックでした。でも、その後すぐに、透析を受けながら何ができるのかを考えました。海外旅行をする方法も調べ、旅行にもかなり行きました。
透析を受けながら海外旅行をするのは、いろいろと大変なこともあったと思いますが、どのようなところに行かれたのですか。
大川さん:
透析導入してからすぐに、パリに行きました。初めは現地のかなり費用が高い病院で透析を受けたのですが、その後、もっと安い病院を見つけて(笑)、フランスには何度も行きましたね。
ヨーロッパだけでなく、香港やシンガポールにも行きましたし、アメリカは2回(ラスベガスとロサンゼルス)行きました。アメリカの透析施設では、すごい血流量(350ml/m)で回されて、ヘロヘロになってしまいましたけれど(笑)。
透析中の食事に関してはどうでしたか。
大川さん:
食べ物に関しても、バナナやメロンなどの果物が食べたいときには、透析を受ける直前に食べたり、カリウムやリンを下げる薬も服用しながら、旬のおいしい果物を食べたりしていました。そのため、検査数値はいつも優等生でしたね。
ご自身で制限しなければいけないポイントを理解した上で、好きなものを食べていたということですね。
大川さん:
そうですね。食べ過ぎたり飲みすぎたりしないようにしっかり考えてやっていました。
でもやはり、透析歴が長くなると、眼底出血などの合併症も起こってしまいました。自分の中でコントロールはしていたものの、好きなものを食べて飲んでいたので、血圧のコントロールは少し難しかったです。