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レシピエントインタビュー

吉牟田 敦子さん
移植種類: 膵腎同時移植
お名前: 吉牟田 敦子さん
ドナー: お母様
移植後: 約1年(取材時)
病院: 九州大学病院
ドクター: 北田先生
取材日: 2011/07/05

九州大学病院レシピエントインタビュー

母からもらった2つの宝物

 今回インタビューを受けてくださったのは九州大学で初めての生体膵腎同時移植を受けた吉牟田さんです。
皆さん、2010年9月に新聞やテレビでも話題になった移植のニュースを覚えていますか。
日本で18例目となる生体膵腎同時移植ですが、ドナーさんの手術では日本で初めて膵・腎ともに開腹ではなく内視鏡で行う手術が成功しました。
 そのレシピエントであった吉牟田さんと、執刀医であった北田先生も交え、当時のお話、そして現在の吉牟田さんの生活の様子を取材する事ができました。

        

病状が出た時の様子を教えてください。

吉牟田さん:
 24歳までは普通に、元気に毎日を過ごしていました。学生の頃は部活動もやっていましたし、健康診断に引っかかる様な事もありませんでした。大学卒業後、大阪で就職し2年くらいたったある日、急にみぞおちの辺りが痛くなりました。2、3日我慢していたのですが、意識がなくなる位痛みが激しくなり、そのまま倒れてしまいました。そして意識が戻ったときには病院のベッドでインスリンを打たれながら寝ている、という状況でした。急性膵炎でした。そして自分の体からインスリンが出なくなってしまい、Ⅰ型糖尿病と診断されました。

北田先生:
 これは珍しいケースだと思います。
 Ⅰ型糖尿病も様々で吉牟田さんは「劇症Ⅰ型糖尿病」といわれる難しい病ですね。

吉牟田さん:
 当時は「劇症」 という名もなく、ハッキリとした位置づけもない印象を受けました。
 それから、自分で注射を打ちながらの生活が始まりました。

その後の生活はどうでしたか

吉牟田さん:
 その後、仕事も続けられなくなり、地元である福岡にやむなく戻り、しばらくは療養して、その後は軽いアルバイトをしながら生活していました。
 体自体で自己調節が出来ないので、注射で補ってもコントロールはうまくいかず、よく高血糖や低血糖を起こしていました。そういう生活が長くなると、いろいろなところに合併症が現れるようになり、体調も少しずつ悪化していきました。
 最終的には「来るものが来たか」という感じで、尿にたんぱくが出はじめ、一年くらいかけてクレアチニンの数値が徐々に悪くなっていきました。そして、腎不全となり、透析導入をする事になりました。

透析導入という事に対し当時はどのような心境でしたか。移植は検討しませんでしたか。

吉牟田さん:
 なんだか打ちのめされた気持ちでした。ただ恐ろしく、不安の日々でした。
 食事療法を厳格に行いましたが、何の効果もありませんでした。とにかく数値がみるみるうちに悪くなっていくのです。いろいろな努力も無駄に感じました。
 当時の腎臓内科の先生の話では移植よりも、腹膜透析や血液透析をすすめられ、そのどちらかの選択肢しかなかった気がします。その時に移植の具体的な話があったとしたら、その場で登録したのではと思いますが、何よりも身体がかなりきつかったので、いろんな事を考えられませんでした。ただ自然と透析導入となりました。

その後、北田先生との出会いを教えてください。


吉牟田さん:
 週3回程の透析をして少し体調が良くなった頃、やっと今後について考える事ができたように思います。
 当時透析をしていた病院内にもⅠ型糖尿病の人はいませんでしたし、それだけに自分の現状やこの先どうなるのかが全く分からない、また、当時の担当医の先生しか私は知らなかったので、「一生付き合うなら自分に合った先生を選びたい」と思い、様々な透析病院を回りました。
 そして、最後に行った病院の先生が、移植の話をしてくださり、九州大学で移植が行われているという情報を得ることが出来たのです。
 早速、九州大学病院に電話をしました。その時は話を聞きにいく予約をとるだけだと思っていたのですが、たまたまいらっしゃった北田先生とつないでもらうことができ、「まずは話を聞きに、直接自分の所へ来てください」と言ってくださいました。

北田先生と初めて会った印象はいかがでしたか。

吉牟田さん:
 正直移植の先生はもっと年配の方だと思っていました。とても若く、そしてその時服装も上下黒だったので「なんだか変わった先生だな」と思いました。
 でも話をするとすごく真面目で、移植のことを真剣に考え、全身で受けとめられ、受け答えがハッキリしていらっしゃいました。第一印象で、「この先生なら任せてもいいな」と感じていました。

先生はどのような印象を持たれましたか

北田先生:
 初めてお会いしてその日に膵腎移植の登録をしましたね。でも最初の印象よりも、やりとりをする中での印象のほうが強いですね。 私はいつも患者さんとメールでやり取りするのですが、突然「救急車に運ばれた」というメールが来たのです。
そのころは脳死法案改正前で、いつ移植ができるかわからない状況でしたから、このままでは彼女の身体がもたないのではないかと思いました。 そこで生体膵腎移植という選択肢をお伝えしました。もちろん、生体膵腎移植は簡単なことではなくリスクを伴うものです。この選択肢を話すことに迷いもありましたが、「なんとか助けたい」という気持ちで覚悟をもってお話しました。

生体移植について、ご家族にはどのようなお話しをしましたか。


吉牟田さん:
 献腎の登録をした事は事前に伝えていました。
 生体移植について、両親は聞いたことがあったそうですが、「私から話が出たら賛成しようと思っていた」と言ってくれました。
 両親、二人の妹みなそれぞれに耳を傾けてくれ、かなり頻繁に家族会議を行いました。 生体移植でも腎臓だけだったり、献腎を待ったり、様々な方法がありました。そして沢山話をした結果、両親共に生体膵腎のドナーとして手を挙げてくれたのです。
 そして検査の結果、母にお願いする事になりました。


移植をしたいと思ったきっかけや想いはありますか。

吉牟田さん:
 移植をする前は「あと10年しか生きられない」と感じていました。
 でも移植をしたら、それが延びて20年は生きられる。その10年の重みと、「もっと生きたい」という想いが重なり、移植しかないと決心しました。

北田先生:
 1型糖尿病の患者さんが透析導入した場合、その後の予後はとても悪いのです。死亡率はとても高く、透析後4年で40%の方が亡くなっているというデータもあります。それほど命が脅かされる状態だったのです。

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