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レシピエントインタビュー

山田温子さん
移植種類: 生体腎移植
お名前: 山田温子さん
ドナー: 叔父様
移植後: 約4年(取材時)
病院: 戸田中央総合病院
ドクター: 清水朋一先生、松田明子先生
取材日: 2014/11/10

戸田中央総合病院 レシピエントインタビュー

叔父からの贈り物

戸田中央総合病院 レシピエントインタビュー第1回目は、約4年前に叔父様がドナーとなり、生体腎移植手術を受けられた、山田温子さんです。山田さんは26歳の時にIgA腎症と診断され、32歳の時に腹膜透析導入となり、翌年移植手術を受けられました。
多くの困難を乗り越えて移植手術を受けるまでのお話や、移植後にご結婚・出産をされ、かわいい娘さんと充実した毎日を過ごしていらっしゃる現在の様子など、さまざまなお話をお聞きすることができました。

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困難な日々

病状が出始めてから、移植手術を受けるまでの経緯について教えてください。

山田さん
22歳の時、勤務先の健康診断で尿蛋白を指摘され、再検査の結果、慢性腎炎と診断されて通院を始めました。その後、26歳の時に初めて腎生検を受け、IgA腎症と診断されました。その年から保存療法を開始して約6年間続けましたが、2009年、32歳の時に腹膜透析導入となりました。そして、透析導入の翌年に生体腎移植手術を受けました。

22歳ごろまでは、特に症状もなかったのですか。

自分の病気を知らなかったころ

山田さん
ありませんでした。入院したこともなく、ごく普通の生活をしていました。アレルギーなどもなかったですね。ただ、19歳から勤めていたスイミングクラブの仕事が不規則で、とても忙しい毎日を送っていました。慢性腎炎と診断されて通院するようになっても、勤務状況は厳しくなる一方で、十分な睡眠時間も取れず、規則正しい生活からはほど遠い毎日でした。

激務で体調が悪くなることもありましたか。

山田さん
はい。降圧薬を服用しながら、朝5時半に出社するとか、夜11時半まで勤務するなど、本当に不規則な生活をしていました。通勤にも1時間以上かかったので、朝5時半出社となると、車で通勤せざるを得ない状況でした。
一度、ひどい腹痛で起き上がれなくなり、父に迎えに来てもらったことがあったのですが、父から、「会社の言いなりになっているんじゃない!」と怒られ、会社を辞めようと思うきっかけになりました。ただ、抱えている仕事が多すぎて、それを引き継げる人がおらず、なかなか辞められませんでした。そのような状況の中、父の他界があり、母の実家の近くに引っ越すことになったため、退職とともに転院しました。
厳しい勤務状況からは解放されましたが、私が高校生のころから母が病気で何度か入院しており、弟も障害があって自立が難しく、私は家族の世話や仕事にかかりきりで、自分の体に向き合うことができない状況でした。そして、だんだんむくみやだるさがひどくなり、他の仕事に就いてもうまく通勤できないことが続きました。その頃は、「私は仕事もできない、動けない、あれもこれもできない、役立たず…」などとネガティブなことを考えてしまい、肉体的にも精神的にも大変つらい日々でした。

ご自身の体調だけでなく、ご家族も大変な状況だったのですね。

山田さん

山田さん
そうですね。弟は1人で支度をして家を出ることができないので、以前は朝は私が遅番にして、弟を送り出してから仕事に行き、夜は父に早く帰って来てもらっていました。父が他界した時は、母は入院中でしたので、私が家のことも全て行っていました。母には私の病気のことを理解してもらえない状況でしたので、それもつらかったです。


希望が見えた瞬間

移植に関する情報は、いつ、どのようにして知ったのですか。

山田さん
初めて移植を知ったのは、転院先の総合病院で、腎臓内科の先生から、「まだ若いのだから、移植を受けたら赤ちゃんが産めるよ」と言われた時です。治らない病気だと思っていたのに、「そんなことまでできるようになるのか!」と、大変驚きました。子どものころから、お嫁さんになって子どもを産むのが夢だったので、本当にうれしかったですね。

それまでは、「透析になったら、妊娠・出産は難しい」と言われていたのですか。

山田さん
そう言われていたこともありますが、当時はまだ自分の中で、「腎臓が悪くなるとその先に透析がある」ということがきちんと結びついていませんでした。そのため、結果的には、透析よりも先に移植のことを聞いてしまったという感じです。

透析導入前に移植の話を聞くことができて良かったですね。

山田さん
はい。最初に診察していただいた病院では、先生から、「治らない病気です」と言われました。おそらく先生は、その後に、「治療していけば大丈夫です」という話をしていたと思うのですが、最初の「治らない」という言葉が大きすぎてとてもショックを受け、その後の話は全く頭に入ってきませんでした。ですから、その日以降少しやけになってしまい、「治らないんだったら、毎日楽しく過ごせればいいや」と思い、あまり真面目に薬も飲んでいませんでした(笑)。

その後、実際に移植手術を受けようと思ったのはなぜですか。

山田さん
移植手術をすれば赤ちゃんが産めることを知って、母に話したところ、「私の腎臓をあげるから、ぜひ受けなさい」と背中を押してくれたのです。それがきっかけになりました。

戸田中央総合病院を受診されたのはなぜですか。

腹膜透析導入2カ月前の様子

山田さん
32歳ごろ、クレアチニン値が急激に上がってしまい、すぐに透析導入しないといけない状態になってしまいました。腎臓内科の主治医は、「もう透析を開始せざるを得ないけど、移植に向けて動き出した方がいいよ」と言ってくださいました。そして、戸田中央総合病院を紹介していただきました。
でも、透析導入の際、腹膜透析の管を入れる手術をしていただいた別の先生は、「移植は反対です。そんなに軽々しく『移植』なんて言うものではありません。親指の付け根でいいからシャントを作っておいた方がいいですよ。」と言われたので、「主治医の先生と、この先生の温度差は何?」と思い、シャント作製は断固として拒否しました。

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