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レシピエントインタビュー

飯田 健一さん
移植種類: 生体・献腎移植
お名前: 飯田 健一さん
ドナー: お母様、献腎ドナー
移植後: 約12年(取材時)
病院: 名古屋第二赤十字病院
ドクター: 打田和治先生
取材日: 2011/10/15

名古屋第二赤十字病院レシピエントインタビュー

決して諦めない心

 名古屋第二赤十字病院 移植者インタビュー第6回目は、2度の移植(1回目:生体腎移植、2回目:献腎移植)を受けられた、飯田健一さんです。1回目の生体腎移植手術はうまくいかなかったものの、決して諦めずに病気と向き合い、約9年後に2回目の移植手術を受けられるまでの経緯や、主夫としてご家族を支えながら、患者会などの活動を通じて移植に関わる啓発活動を続けていらっしゃる様子をお聞きする事が出来ました。

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突然の体調不良

腎不全の病状が出始める前の生活を教えてください。

飯田さん
 特に大きな病気をする事もなく、スポーツも中学から高校まではバスケットボールをやっていました。
 高校の時にバスケットボールをしていて倒れた事があり、しばらく熱が出た事があったのですが、その時は近所の開業医に行き点滴を打ち、もとの生活に戻りました。その時点ではハードな練習の疲れなのだろうと思っていましたが、今から思えばその頃から体調がおかしくなっていたのではないかと思います。

症状が出始めたのはいつからですか?また、その時の様子を教えてください。

飯田さん
 その後就職し、高所作業(イベント時の巨大テントの設営など)をしていた時も体調がおかしいとは感じていましたが、仕事の疲れなのだろうと思っていました。呉服問屋へ転職し、ブライダル部門の仕事に就いていた29歳の時に、会社の検診でタンパク尿を指摘され、名古屋第二日赤病院をご紹介頂き、腎臓内科にかかりました。
 検査の結果、「腎臓の機能が10%位しかない」と言われ、「すぐに透析を受けるように」と言われました。



母親からの深い愛情

移植に関してはいつ頃知ったのですか?

飯田さん
 名古屋第二日赤病院の腎臓内科で1週間くらい教育入院をしたのですが、その時に『血液透析、腹膜透析、腎移植』に関しての説明のビデオを見て知りました。

打田先生
 飯田さんが教育入院をした頃(1991年)には、既に当院の腎臓内科には腎移植医療に対する理解と勧める体制ができていました。慢性腎不全末期の患者さんに対して形式的な腎移植の紹介をするのではなく、「移植手術が可能なのであれば、患者さんの体にとっては透析よりも腎移植の方がいいですよ」という説明を主治医から直接話をします。また、入院病棟の自主勉強ビデオの教育項目の一つに「腎移植の項目」が取り入れられていました。 恐らく、飯田さんのお母様にも腎臓内科主治医からその様な話をさせて頂いていたと思いますので、お母様の方から「積極的に移植の話を進めたい」との意向を頂いていたと思います。

生体腎移植手術を受ける事に対しての迷いはありましたか?

飯田さん
 教育入院の際にビデオを見せられ、今後、自分の体の状態がどうなるのかを知り落ち込みましたが、自分としては透析を覚悟していました。
 母親からはドナーとなってくれるとの話を頂きましたが、ドナーの体がどうなるのかが一番心配で、すぐに手術をしようという気持ちにはなれませんでした。
 ただ、既に私には妻と子供がいましたので、自分の家庭の将来も考え、最終的には母親にドナーとなって頂き、生体間移植を行う事となりました。

お母様からは移植前に何かお話がありましたか?

飯田さん
 母は多くは語りませんでした。ただ一言、「良くなるといいね」とだけ言ってくれました。 その時はどうしても照れくさく、素直に「ありがとう」と言えませんでした。

手術後はお母様と何かお話されましたか?

飯田さん
 やはり当時は直接話す事が恥ずかしく、私の妻を介して母親の状況を聞いたり、自分の気持ちを伝えたりしていました。

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