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レシピエントインタビュー

浦上仁さん
移植種類: 生体・献腎移植
お名前: 浦上仁さん
ドナー: お父様、献腎ドナー
移植後: 約20年(取材時)
病院: 奈良県立医科大学附属病院
ドクター: 吉田克法先生
取材日: 2014/06/07

奈良県立医科大学附属病院レシピエントインタビュー

世界でただ1つの授業

奈良県立医科大学附属病院レシピエントインタビュー第3回目は、二度の移植(生体腎移植、献腎移植)を受けられた、浦上仁さんです。浦上さんは26歳ごろ、お父様がドナーとなられて生体腎移植を受けましたが、約5年で血液透析再導入となりました。その後、透析を受けながら教職を続け、厳しい状況を乗り越えて、献腎移植を受けられました。2回目の移植後、ご自身の夢であった高等学校の体育の教員となられ、浦上さんにしかできない授業を通して生徒たちに多くのメッセージを伝え続けていらっしゃいます。

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危篤状態を乗り越えて

病状が出始めたのはいつごろでしょうか。また生体腎移植を受けるまでの経過について教えてください。

浦上さん
小学校の高学年ごろから、学校の尿検査で尿蛋白が検出されるようになりました。ただ、このころは特に何の制限もなく、普通に生活をしていました。将来の夢は、歌手か体育の教員になることでしたね。中学時代は剣道、高校時代は陸上と、運動も続けていたのですが、尿蛋白はずっと出ていました。その後、体育の教員になるという夢を叶えるために大学の体育学部体育学科に入学しました。
大学までの22年間、尿蛋白の検出以外、自覚症状は全くありませんでした。高校3年生の春ごろには奈良医科大学付属病院で腎生検を受けましたが、翌月にはまたクラブ活動を再開していました。
ところが、大学卒業後、就職して3年目に、突然危篤状態に陥りました。

危篤状態に陥ったというのは、ご自身では気付かないうちに末期腎不全の状態になっていたということでしょうか。

浦上さん
そうです。25歳くらいの時に、皮膚にすごい吹出物ができて、ふらふらして立っていられなくなりました。「これはまずい」と思い、奈良県立医科大学附属病院の内科で診察を受けたら、「即入院してください」と言われました。入院時に粘膜から出血して、ほとんど話すことができなくなりました。咳払いをすると血の痰が出てきて声が出なくなり、そこから先は意識が無くなり覚えていません。朝、目が覚めると、家族がそばにいるのがわかりました。職場では、「浦上さんは危篤状態になっていて、今晩が山だ」と言われていたそうです。また、私の家族に対しては医師から、「このまま腹膜透析をしなければ命が危ないですが、管を入れる際に少しでも失敗したら、難しい状況になると思いますがどうしますか?」というような話があったそうです。

そのような厳しい状況をなんとか乗り切ったのですね。

浦上さん
私は意識がなく、全く覚えていないのですけれど(笑)。その時は、泌尿器科の先生方に、本当にお世話になったのだと思います。

浦上さんの症状は、やはり腎不全によるものですか。

吉田先生
そうですね、肺胞出血です。肺水腫で呼吸困難になっていたのですね。


浦上さん
それまで、夜、横になると息苦しいので、座りながら寝ていたのを覚えています。


吉田先生
それは起座呼吸※ という状態ですね。

※ 呼吸困難が臥位(寝た状態)で増強し、起座位(上半身をほぼ90°に起こした状態で枕などを抱えるように前かがみの姿勢を保つこと)で軽減する臨床的徴候。

現在でも、腎不全でこのような状態になってしまう方はいらっしゃいますか。

吉田先生
あまりいません。ただ、透析の自己管理がいい加減で水分制限ができていない人は、そのような症状が出る場合もあります。


父の愛情

生体腎移植手術を受けようと思ったきっかけについて教えてください。

浦上さん
父が、「仁、おれの腎臓あげるわ」と言ってくれたからです。腎不全で危篤状態になってから、3~4カ月が過ぎたころだったと思います。父は60歳で、当時は生体腎ドナーになることができる、ぎりぎりの年齢だと聞きました。父は手術までの間、たばこやお酒を控えたり、野菜ジュースを飲んだりと、私のために摂生をしてくれました。

その当時は、移植医療は一般的にあまり知られていなかったと思うのですが、お父様はどうして知っていたのでしょうか。

吉田先生
私たちが、「移植という治療法もある」ということをお話し、それをお聞きになられたのかもしれません。

奈良医科大学附属病院では、いつごろから腎移植手術が行われていたのですか。

吉田先生
当院では1974年に初めて腎移植手術が行われました。浦上さんは当院の7番目の移植者ですが、その時既に、最初の移植手術から7~8年たっており、それ以前には、まだ数名しか移植手術を受けた方はいらっしゃいませんでした。

そして、生体腎移植手術の日を迎えたわけですが、手術を終えた時の心境はいかがでしたか。

浦上さん

浦上さん
移植後すぐに尿が出て、体が楽になりました。また、体のかゆみからも解放されました。移植前までは本当にかゆくて、夜中にいつも背中を掻いていました。また、当時私はスイカが大好きだったのですが、移植前はカリウムが高くなるので食べることができませんでした。移植後の入院中に、病院食でスイカが出てきた時にようやく、「元気になってきたかな」と実感しましたね。

手術後の経過はどうでしたか。

浦上さん
咳をすると切開部が痛かったぐらいです。良くなるという思いでしたので、入院生活はつらくありませんでした。
父の方は、当時のドナーの手術は開腹手術でしたので、寝ているだけで切開部が痛かったらしく、家族の話では、ベッドの上で、「痛い、痛い」と言っていたそうです。後に父の手術の傷痕を見せてもらいましたが、私よりも大きなものでした。父は1カ月ほど、私は2カ月ほどで退院しました。


全てが解放されて

移植手術後、お父様に対しては何か特別にイベント等は行っていましたか。

浦上さん
特にはしていません。術後の、劇的な再会のようなものもありませんでした。


吉田先生
当時は手術後の管理は個室で行っており、今よりもかなり厳重でした。
部屋にビニールカーテンを貼って、下着なども全て滅菌済のパックに入れていました。1週間~10日くらいは、他の人に会うこともできなかったと思います。


浦上さん
当時は手術の際に髪の毛も切らなければいけなかったので、坊主でしたね。部屋は、テレビまで全て消毒がしてありました。外にも出られないので、3週間くらいずっと同じ部屋にいました。
私がようやく部屋から出られるようになってから父に会ったので、もしかしたら、その時父はすでに退院していて、自宅から私に会いにきてくれていたのかもしれません。

移植後、一番良かったこと、うれしかったことはどのようなことでしたか。また、生活にはどのような変化がありましたか。

浦上さん
職場には移植から5カ月後に復帰しました。結局仕事は1年間休んだことになりましたが、体のだるさ、かゆみ、食事制限、水分制限から解放され、1日2回の服薬以外は以前と変わりなく生活ができるようになりました。このころになると、運動もできるような体力に回復し、移植をしたという意識が薄れ、朝晩の食後の服薬時間、睡眠時間がばらばらになり、1日の生活リズムが大きく乱れてしまいました。

服薬時間や、生活のリズムが乱れてしまったというのは、具体的にはどのようなことですか。

浦上さん
今は、薬は時間を決めて服薬していますが、その当時はまだ、「薬は食後に飲みなさい」という指示だったので、食事をする時間が遅くなれば薬を飲む時間も遅くなり、服薬の時間がばらばらになってしまったのです。また、当時は20代後半で若かったこともあり、夜も友達と遊びに行って、帰りが遅くなることもよくありました。そのような生活を続けていたため、移植後3年ぐらいで移植腎が駄目になってしまったのです。

移植をしてすごく元気になり、腎臓が悪いことを忘れてしまったということでしょうか。

浦上さん
その通りですね。私は透析を半年くらいしか経験しておらず、その間はすごく苦しかったのですが、移植によって急に全てが解放されたので、「元気になった」と思ってしまったのです。

やはり10代、20代の若い人の中には、そのような方も多いのでしょうか。

吉田先生
そうですね。急に体調がよくなるので、「もう普通だ」と思って、暴飲暴食・睡眠不足になる人はいます。さらに当時は、血液透析・腹膜透析ともに現在のように治療水準が高くありませんでしたので、透析によって血圧が下がったり、貧血になったりと本当に大変でした。そのような状態から解放されて完全に自由になったと、誤解してしまう人もいましたね。

現在は、移植後の服薬は、時間で指示されているのですか。

吉田先生
そうです。例えば、9時と21時というように、時間で指定しています。

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