トップページ  >  インタビュー  >  レシピエントインタビュー  >  中井 真一さん

レシピエントインタビュー

中井 真一さん
移植種類: 生体腎移植
お名前: 中井 真一さん
ドナー: お母様・ご兄弟
移植後: 約3年半(取材時)
病院: 名古屋第二赤十字病院
ドクター: 打田和治先生
取材日: 2011/09/24

名古屋第二赤十字病院レシピエントインタビュー

2人からの大切な命の贈り物

 名古屋第二赤十字病院 移植者インタビュー第2回目は、2度の生体腎移植を経験された、中井真一さんです。
1回目の移植をお母様から受ける事になった経緯や、移植後の生活、その後の血液透析再導入を経て、2回目の移植を弟さんから受けるまでのお話、そして現在、勤務先のお仕事のみならず、患者会の会長として様々な企画を中心となって運営していらっしゃる様子などをお聞きする事が出来ました。

Crl2 2
        

突然の透析導入

1回目の移植をされる前は、どの様な病状だったのでしょうか?

中井さん:
 大学生の時は、検査で多少血圧が高いとは言われていたものの、特に自覚症状はなく、スポーツもバスケットボールをするなど、普通の大学生と同じように過ごしていました。大学で薬学部だった事もあり、現在勤務している会社(製薬企業)に入社し、営業を行っていました。入社して10年位(32歳位まで)は自覚症状も無く、普通に生活をしていました。
 その後、名古屋に転勤になった頃に、よく吐き気のようなものは感じるようになっていましたが、まさか腎臓が悪くなっているとは思いませんでした。今から思えば、少し体調がおかしいとは思っていたものの、検査に行ってはっきり分かってしまうのが嫌で、病院に行かなかったのもよくなかったのだと思います。
 名古屋に転勤後、営業中に急に息が荒くなり、階段を上るのも苦しく吐き気も出てきた為、近くの内科医にかかったのですが、「もううちの病院では診る事が出来ない状況だ」と言われ、そのまま救急車で名古屋第二赤十字病院に運ばれて緊急透析導入となりました。

打田先生:
 いわゆる尿毒症の症状ですね。医療関連の職業に携わっていながら、こういう状況になってしまったのは問題ですね(笑)。

中井さん:
 それからシャントを作り、週3回の血液透析に入りました。当時診てもらった先生からは、腎臓が卓球の球位の大きさになっていたと言われました。原因は分からないとの事でした。

打田先生:
 それだけ腎臓が萎縮しているという事は、すでにかなり長く悪い期間が続いていたのですね。

初めて透析をされた時はどの様なお気持ちでしたか?

中井さん:
 初めは状況が分からず、ぼーっとしていました。後で話を聞いたら、救急車で病院に運ばれた時は、かなり危ない状況だったようです。
 血液透析導入後、だいぶ落ち着き、ある程度冷静になってきた頃、これからどうなるのか、仕事もあるので復帰できるのかどうか等、とても不安になりました。

製薬企業で営業をされていたので、普通の方より医療知識はお持ちだったと思うのですが、移植に関してはどのタイミングで知っていらっしゃたのですか?

中井さん:
 移植の事は勤務している会社が関連の薬を取り扱っていますので、もちろん知っていました。 ただ、移植施設も限られている中で、その様な施設を担当していませんでしたので、その時点では自分自身の状況と移植を結びつけては考えていませんでした。
 入院中に腎臓内科の先生から、移植という選択肢もあるというお話をお聞きしていましたが、その時はまだ「あ、そうですか」とお答えしただけで、その程度にしか考えていませんでした。

打田先生:
 名古屋第二赤十字病院では、患者さんには必ず「血液透析、腹膜透析、腎臓移植」の3つの選択肢がある事をお話するようにしています。


移植が現実に

移植を現実的に考え始めたのはいつごろからでしょうか?

中井さん:
 少し落ち着いた頃、会社で移植領域担当だった先輩が「移植を考えてみてはどうか」と声をかけてくれ、その後母親と移植外科へ相談に伺いました。

お母様にはどの様なお話をされたのでしょうか?

中井さん:
 自分から、「移植という選択肢があるのだけど」と話しをしました。母親はすぐに「いいよ」と言ってくれました。もちろん母親は移植医療に詳しく無かったので、一緒に説明を聞きに行きました。

最終的に移植を決断されたのはいつでしょうか?

中井さん:
 「いつ」というよりも、「病院に話を聞きに行く頃」には母親も決めていたのだと思います。

打田先生:
 環境が環境(製薬会社に勤務されていたり、先輩からの紹介があったり)だったので、変な意味ではなく、1回目の移植はあまり葛藤が無いまま進んでいってしまったのではないかと思います。流れるままに移植となったという感じでしょうか。
 調子が悪いので病院に行ったら、あっという間に救急車で担ぎ込まれて透析導入、少し経ったら、移植手術というような感じでしたね。

中井さん:
 たしかに、慢性腎不全の治療を知らずに血液透析に入り、それから1年半で移植をしているのであまり自覚が無かったのかもしれません。
 そのまま1998年の4月に生体腎移植手術を行う事になりました。

お気に入り記事に登録

1   2   3   次へ >>

レシピエントインタビュー【2次移植】

レシピエントインタビュー【親子間】

レシピエントインタビュー【兄弟姉妹間】