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レシピエントインタビュー

愛知医科大学病院レシピエントインタビュー Vol.2

山本康平さん × 愛知医科大学病院 小林孝彰先生、渡邉レシピエント移植コーディネーター

 神様からのご褒美

透析歴や年齢で、移植ができない可能性もあるとは思っていましたか。

正美さん
無理かもしれない、という思いもありましたが、もし先生が、「できる」と言ってくださったら、37年間透析に通い、つらい思いをしてきた主人への、神様からのご褒美だと思いました。

ドナーになることへの不安はありませんでしたか。

正美さん

正美さん
病院から頂いたパンフレットを読んだり、実際に移植を受けた方から話を聞いたり、インターネットで調べたりして、納得して決断したので、不安はありませんでした。
それよりも、主人をなんとか透析から解放してあげたいという思いが強かったです。当時は、主人を1日おきに透析に送り出す度に、無事に帰ってくるまで本当に心配でしたし、今後万が一、体が不自由になったとしても、透析の機械に繋がれなければ生きていけないのだと思うと、不安が大きくなるばかりでした。移植を受ければ、体が不自由になったとしても家で生活できるので、その方がいいと思っていました。
また、移植を考え始めたころには、それまであまり愚痴を言わなかった主人が、このまま透析を続けていかなければならないことに対する不安を口にするようになっていました。どんな状況になっても透析に行かないと命が繋がらない、車いすになったとしても心臓が止まりかけても行かなければならない、ということをちらほら言い始めていましたので、主人も不安を感じているのだと思いました。

そのような思いがあり、移植に臨もうとされていたのですね。移植ができるかどうかの判断を待っているときは、どういうお気持ちでしたか。

康平さん
自分は年齢が72歳だし、透析歴も37年と長いので、移植は難しいかもしれない、と思っていました。しかし先生からは、「移植ができるかどうかは、検査をしてみないと分かりません」と言われたので、検査を受けたところ、「この体ならできますよ。どうしますか。」と言ってくださったのです。妻と二人で、「お願いします」と答えました。

もしも、ご主人からの、「俺にくれるか?」という言葉を、20年前に聞いていたらどう決断したと思いますか。

正美さん
悩んだと思います。私も教員をしていたのですが、主人が病気になったときには、万が一主人に何かあった場合は、私が家族を支えていかなければならないと思っていましたので、とにかく定年まで働かなければならないと思っていました。そのため、20年前にその言葉を聞いたとしても、すぐに、「いいよ」と言えなかったかもしれません。
現在は子ども達も成人し、私も定年退職しており、何のしがらみもない状態だったので、すぐに、「移植しよう」と言えたのだと思います。また、既に両親が亡くなっていたことも大きいです。もしも生きていたら、両親に心配をかけるのでは、と躊躇したと思います。


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