MediPressでは、腎提供から10年、20年たった生体腎ドナーへのインタビューをさせていただきました。今後シリーズでお届けしていきます。第1回目は、約10年前、61歳の時に息子さんの生体腎ドナーとなられた千保一夫さんです。ドナーとなられた当時、大田原(栃木県)市長として忙しい毎日を過ごされていたお話や、腎提供後も、以前と変わらず豪快な日々を過ごされている様子などを、レシピエントである息子さんとのエピソードも交え、お聞きすることができました。

レシピエントの移植までの経緯

  • 0歳 腎盂腎炎にかかる。
  • 2000年頃 血液透析導入
  • 2004年7月 生体腎移植手術  ドナー(千保さん)61歳
  • 現在:移植後約10年※取材時

相撲も強い市議会議長

臓器提供前はどのような生活をされていましたか。

千保さん
若いころから健康で、体力には自信があり、相撲、野球、ソフトボールと、いろいろなスポーツをやっていました。 アマチュア相撲では、大田原市議会議長になった42歳の時にも、県民スポーツ大会に大田原の代表として出場しました。大田原市の体育協会会長をやっていた私の高校の時の担任の先生が、相撲会場で私を見つけると、「千保、お前、議長をやりながら、まわしをつけて相撲を取っているのか。そんなやつ見たことないぞ。」なんて、言われましたね(笑)。その後、市長になる前年の46歳の時にも、3人の団体戦に出場しました。
その時は予選リーグを3回行って3人とも全勝、準決勝は2勝1敗で勝ち上がり、決勝戦でも3人が全勝、団体戦で優勝しました。私はいつも先鋒でした。


相撲と野球

野球とソフトボールは何年間くらいやっていたのですか。

千保さん
子供会育成会、公民館対抗、PTAなどのソフトボール大会と市議会の野球大会など、約25年間やりました。
野球もソフトボールも、市長になった後もやっていました。どちらもピッチャーでしたね。

どんなスポーツでも活躍されていたのですね。

千保さん
息子の中学校の運動会で、出身小学校3校対抗父兄リレーの選手に選ばれて走ったこともありました。私は87kgくらい体重があったのに、走ると速いので、私が走ると「ワーっ」と歓声が上がるのです。「あのデブ速いな」ということですね(笑)。でもその時も80mくらい走ると足がもつれ始めました。相撲取りは、ダッシュは速いですが、長続きはしないのです(笑)。第3走目を走ったのですが、トップでバトンを受けて、なんとかそのままトップでバトンを渡すことはできましたが・・・。


4年間の透析を経て

息子さんの腎臓病が悪化する前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちでしたか。

千保さん
腎バンクや生体腎移植などについて、わずかな知識しか持っていませんでした。

どのような経緯でドナーになることが決まったのでしょうか。

千保さん
息子が腎不全で透析導入になると分かった時点で、私も妻もドナーになりたいと考え、大学病院で検査を受けようとしていました。「透析になる前に移植をしよう」と思っていました。でもその時に大学病院の先生から、「現在、優れた免疫抑制剤が臨床試験中で、あと4年待てば実用化が始まり、もっと安全に移植できるようになりますよ」と助言を受けたため、透析を受けながら待つことにしました。

息子さんの透析治療は順調でしたか。

千保さん
透析導入から4年くらいたつと、つらそうにしている日が多くなっていました。私は息子たちと一緒に司法書士事務所で働いているのですが、毎日一緒にいた私たちから見ても、あまり気力がなく、元気がありませんでした。そういう息子の状態と、新しい免疫抑制剤の話もあり、「そろそろ潮時だな」ということになりました。そして、移植のための検査を受けたところ、私のHLA※が6分の5も息子と合っていて、大変相性が良いということがわかったので、私がドナーになることを即断しました。

※HLA(Human Leukocyte Antigen ):日本語では、「ヒト白血球抗原」といい、両親から遺伝的に受け継がれる白血球の型のこと。HLA は一対となっており、両親からその半分ずつを受け継ぐため、子供同士では4つの組み合わせがあり、兄弟姉妹間では4分の1の確率でHLA型がすべて一致する。他人同士でHLAの型がすべて一致する確率は、数百人から数万人に1人となり、極めて低い。

すごいですね。全国で見ても、その確率でHLAが合う人はなかなかいないですよね。親子でも普通は半分ですから。もしかして血液型も同じだったのですか。

千保さん
血液型も同じです。「本当にこんなに合うことは珍しい」と言われるくらいに、合っていました。

ドナーになることへの不安や心配はありませんでしたか。

千保さん
ドナーになることへの不安や心配は全く感じませんでした。移植当日の朝、手術台に乗る時に胸がドキドキすることもなく、自分でも何か不思議な気分でした。私は、手術で体にメスを入れたりするのは、何も怖くないのです。移植の5カ月前に、大腸憩室炎で上行結腸を約24㎝、内視鏡で切除する手術を受けていたので、同じく内視鏡手術で行う腎摘出術に対する不安を解消できていたのかもしれません。