厳しい状況を乗り越えて

ご主人のお話に戻りますが、1回目の移植後、移植腎はどのくらいもったのでしょうか。

ひとみさん
主人は1回目の移植から21年後、移植腎が働かなくなり、血液透析に戻りました。透析に戻る前の、最後の4年間くらいはむくみがひどく、脚はずっと象のようでした。普通の靴を買っても、足がパンパンに腫れているので靴が丸くなっていました。移植から18~19年たったころにはいろいろなことがありましたので、やはり移植後18年目くらいの時に、2回目の移植をした方がよかったのかもしれません。

2007年に血液透析再導入となった時には、ご主人はどのような様子でしたか。

ひとみさん
「限界が来たかな」という感じだったと思います。私は、血液透析については昔のイメージもあり、「以前より多少は機械が良くなっている」とは聞いていたものの、「主人に合うのかな、大丈夫かな」という不安がありました。

透析の合併症などはありましたか。

ひとみさん
はい。2007年に透析を開始して、半年後に大腸の穿孔から腹膜炎を起こし、2008年の4月に人工肛門を作り、8月に閉塞手術を受けました。
2009年11月には大腸壊死になり、緊急手術を受けました。その時はひどい腹痛で、近くの病院に救急車で運ばれたので すが、その病院で手術を受けることに大きな不安があったことと、ずっと診ていただいていた病院がありましたので、そちらの病院への転院を希望しました。転院先の病院では、しばらく様子を見ようということになり、次の日の朝の4時ごろまで我慢したのですが、「もうこれ以上は命が危ないので手術します」ということになって緊急手術を行いました。
しかし、術中に収縮期血圧が60mmHgとなって、手術は中断となり、「手術をしても、しなくても危ないです」と言われ、親戚皆が集まりました。昇圧剤をものすごい大量に入れて、なんとか80mmHgになったので手術を続行したのですが、「本当にまだ危ない状態ですから、どうなるか分かりません」と言われました。無事に手術が終わった後に、先生方から、「本当に奇跡的に助かりましたね」と言われて、その時は、「ああ、そうなんだ」と思ったのですが、後々いろいろな方のお話を聞いて、「そういう状況で亡くなっていく方もたくさんいらっしゃるんだ。本当にそうだったんだな。」と、改めて思いましたね。

その後はどのような状態だったのでしょうか。

ひとみさん
主人は、透析中に血圧が低下することが多く、上の値(収縮期血圧)が70mmHgくらいになってしまうこともあり、通常の血液透析が合わないため、ある時点からは別の透析方法で治療を受けていました。詳しいことはよくわかりませんが、機械が違うようで、その機械で透析を受けると調子が良かったのです。
ただ、その後も、カルシウム沈着による心臓の弁の硬化症や心肥大、頸椎の変形による末梢神経の痺れ、握力の低下などに悩まされました。


夫婦間移植へ

2007年の透析導入当時は、2回目の移植の話はなかったのでしょうか。

ひとみさん

ひとみさん
ありませんでした。私もその数年前に、夫婦間移植についてお聞きしたことがあったのですが、その当時は、「血液型不適合では移植はできない」ということでした。ですので、夫婦間移植は、たまたま血液型が適合しているご夫婦の場合に限りできるものだと思っていたのです。私はA型で、主人はB型ですから、「医学が発達して、いつの日か不適合でも移植できるようになったらいいな、できたらすぐにやりたいな」とずっと思っていました。
そして、2012年のある日、たまたま胆管結石で入院中の主人を見舞いに行った時に、病院で生体腎ドナーの作品展が開催されており、その展示のメッセージで「血液型不適合でも移植はできる」ということを知ったのです。
ちょうど病室へ行くところでしたから、そのまま受付に行って腎移植に関する資料をもらいました。また、腎移植をされた方々の手記が書かれた「絆」という本が売店で売られていたので、それを買いました。その本を読んで、「移植できる」とい うことを確信したので、すぐに移植コーディネーターの方に連絡を取りました。
それから主人にも自分の考えを伝えました。最初は主人も、「気持ちだけでいい」ということで、全然受け入れなかったの ですが、「これからもあなたと一緒に生活していきたい」「あなただけのためじゃない、私のためでもあるのよ」と説得しまし た。このまま透析を続けていたら、どんどん悪くなっていくのが目に見えていましたし、いろいろなところに支障がきてい ましたので。本当に、「みんなのためにお願いします」という感じで話をしました。
やはりレシピエントというのは、いろいろ複雑な思いがあるのですね。「他人を傷つけてまで移植をしていいのかな」と いう、そういう気持ちが主人に強くあることを感じました。

ご家族には、どのようにお話をされたのですか。

ひとみさん
義母と息子、娘には、「お父さんに、腎臓を提供しようと思う、ひとつだけ心配なのは、今後、もし子どもたちの腎臓が悪くいなったときには、私はあげられなくなる。それだけは分かってほしい。」と伝えました。そうしたら息子は、いや、僕の方が合うし若いから、僕のをあげるよ」と言い出したんです。「気持ちはうれしいけれど、やっぱりあなたはまだこれからだし」ということで、今度は息子を説得しました。
私はすぐにでも手術をしたかったのですが、「移植前検査を受けていただかないと、まだ手術できるかどうか分かりません」ということでした。先生や、移植コーディネーターの方からは、何回も、「本当によろしいんですか」とか、「本当にご自分の意思ですか」と聞かれましたね。でも、私は本当に以前から、「移植できるのであればやりたい」「長い人生を共に歩いていくためにもやりたい」と思っていて、それがある意味で「夢」みたいなところがあったので、夢が叶ったみたいな感じでしたね。


移植手術前の様子

もし2007年の透析再導入時に、「血液型不適合でも移植が可能である」という話を知っていれば、すぐに移植をされましたか。

ひとみさん
したと思います。移植後の義母の元気な姿を長年見ていますし、やはり主人がずっと長い間、本当につらい痛い思いをしていたのも見ていましたから。

ドナーとしての不安や心配はどのように解決しましたか。

ひとみさん
手術当日まで、何事もポジティブに考えるようにしていました。また、ドナーに決まる過程で、移植コーディネーターの方から優しい言葉をかけてもらったり、検査外来のたびに、先生に一つ一つ丁寧に疑問に答えていただいていたので、不安は自然と解消されました。先生をはじめ、いろいろなスタッフの方たちが、本当に親身になって関わってくださったことで、信頼が生まれ、安心して身を預けられると思いました。
それと、2000年ごろから移植腎の生着率が格段に向上したこと、現在の移植医療の状況が以前とは比較にならないほ ど良くなっていること、今は優れた免疫抑制剤もあり、膨大なデータに基づく移植医療が行われていることなどを改めて 知り、不安よりも希望が膨らみました。
そして、前回の移植ではいろいろなトラブルはあったけれども、主人は約21年間、透析をせずに暮らすことができたこ と、その間に、充実した家族との生活が送ることができたことを思い出しました。また、主人が夜間透析で苦しんでいる姿 を見ていると、一日も早く、移植をしたいと思いました。