ドナーインタビュー第5回目は、約10年前、33歳の時にお兄様の生体腎ドナーとなられた村山境子さんです。村山さんがドナーになるまでの数々のエピソードや、臓器提供後のお兄様との関係、ご家族との絆など、さまざまなお話をお聞きすることができました。

レシピエントの移植までの経緯

  • 1985年(16歳)頃 腎臓の疾患が判明する。
  • 2001年(32歳)頃 心肥大を起こす。
  • 2002年(33歳)頃 血液透析導入
  • 2005年2月(36歳) 生体腎移植手術  ドナー(村山さん)33歳
  • 現在:移植後約10年※取材時

知らなかった兄の病状

まず初めに、レシピエントであるお兄様が腎移植を受けられるまでの経緯を教えてください。

村山さん
兄は高校生の時に、健康診断の尿検査で腎臓の疾患が分かり、運動と食事の制限、毎月の検査通院が始まりました。でも、社会人になると、忙しさを理由に通院をやめてしまったようです。10年が経過したころから、体の倦怠感やむくみ、血圧上昇、のどが渇くなどの症状が出始め、微熱と咳が続きました。
また、免疫力が落ち、普通ではかかることのないコクサッキーウイルスに感染して心筋炎を起こし、心肥大となり入院しました。その後、心肥大は完治しましたが、もともと弱かった腎臓の機能が20%まで落ち、透析導入となり、透析を約3年経験した後、36歳で生体腎移植手術を受けました。

お兄様の腎不全の症状が出始めたころは、一緒に生活していらっしゃったのですか。

村山さん
兄も私も早くに結婚をして家を出ていましたので、当時は疎遠で、詳しい状況などは知りませんでした。たまたま実家で兄に会ったとき、ひどく咳をしていたので、家族みんなで病院に行くように言ったことを覚えています。しかし兄は病院に行くのが嫌だったようで、奥さんに引っ張られるようにして次の日病院に行き、心肥大と腎機能の低下が見つかって、即日入院となりました。ここ数年の倦怠感などの症状が、腎機能の低下によるものだと、兄もその時初めて気付いたようでした。

お兄様が透析導入をされたころのことは、覚えていますか。

村山さん
実はその日以来、兄も母も、私に何も言ってこなかったので、透析をいつ始めたのか分かりません。普通に元気に生活していると思っていました。もしかしたら、つらかったのかもしれないですが、兄は私にそういう姿をあまり見せませんでした。


フルマッチ

お兄様が透析導入される前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちでしたか。

村山さん
全く知りませんでした。

どのようなきっかけで、移植をするという話になったのでしょうか。

村山さん
兄が透析をしていた病院に、後に移植手術を受けることになる病院の先生が来られていて、その先生から、「移植をした方がいいよ」という話をされたのだと思います。

ドナーになる可能性があると知ったときは、どのようなお気持ちでしたか。

村山さん
当初はまだ半信半疑で、自分がドナーになる可能性は低いと考えていましたので、不安な気持などはありませんでした。兄と私は血液型が違いますし、先生にも、「兄妹でHLAの型が合う確率は25%だけれど、まず合わないことの方が多いです」と言われていたので、「私はドナーにはならないんじゃないか」と思っていました。

どのような経緯で村山さんがドナーになることが決まったのでしょうか。

村山さん
ドナー候補は4人いました。父と母、兄の奥さんと私です。兄の血液型はO型、父と母と私はB型、兄の奥さんはO型で、先生からは、「妹さんのHLAの型が一致すれば、奥さんと妹さんがドナーとしては適しています」との説明を受けました。
そして検査の結果、私と兄のHLAの型がフルマッチだったのです。あまりにびっくりして、兄と二人で宝くじを買ったほどでした(笑)。最初、兄は奥さんからの提供を希望していましたが、兄の長男が中学1年生の時、急性腎炎で1カ月ほど入院したことがあったため、万が一のことを考え、私が提供することになりました。

お父様とお母様は、自分たちが提供したいと思っていたのではないでしょうか。

村山さん

村山さん
はい、ものすごい勢いで、「自分たちがやる」みたいな感じでいました。ただ、父は移植の話が出る10年ぐらい前に前立腺がんにかかっていたということもありますし、先生は最初から、両親がドナーになるのは無理だと思っていたと思います。でも両親の気持ちが収まりきらなかったので、「血液検査だけはしましょうか」とおっしゃったのだと思います(笑)。特に母は「提供したい」という思いが強かったようで、検査結果が出てから1週間くらい、私に頻繁に電話を掛けてきましたね。「どうしてあなたがドナーなの?どうして私じゃだめなの?」ということをずっと話していました。
母は子どもに対する愛情がとても大きい人なのですが、反面、その愛情が空回りしてしまうこともあり、移植手術前には、「入院して会社を休むのだから、(兄が当時勤めていた会社の)社長に、親として挨拶をしに行かないと」と言い出したこともありました。周囲がいくら、「やめなさい」と言っても聞かず、それが1カ月以上も続き、兄や私に繰り返し電話が掛かってきました。結局、私の主人がはっきりと母を諭して、収拾がつきました。

やはりお母様のお子さん(お兄様と村山さん)に対する愛情はすごいですね。

村山さん
本当にそうですね。でも今はもう、その愛情は愛犬に移ってしまいましたけれど(笑)。

お兄様の奥様は、息子さんが急性腎炎になったことがあったために、将来のことを考えて今回はドナーになることをやめたのですか。

村山さん
そうだと思います。お義姉さんは本当にそれを言い出しにくそうだったので、私から電話しました。甥っ子は、今は大学を卒業して、何事もなく元気に生活しています。

ドナーになる話の中で、村山さん自身のご主人やお子さんからは、何か話はありましたか。

村山さん
子どもにも話はしましたが、当時はまだ小さすぎて、全然分かっていない感じでした。主人からは、特に反対されることはありませんでした。一応、逐次、「こうなったよ」という話はしていましたけれど、それに対して、「うん、そうか」みたいな感じでした。主人にも弟がいるので、「自分の弟がそういう状況になったら、あげるかもしれないし、そうだよな」という感じでしたね。

村山さんご家族
左:ご主人とお二人のお子さんと一緒に
右:当時の二人のお子さんの様子(弟がお姉ちゃんに甘えて)

ドナーとしての不安や心配はどのように解決しましたか。

村山さん
体や心の不安や、怖さのようなものはありませんでした。たぶん楽天的な性格なのだと思います。あまり物事を深く考えるタイプではないので、「何とかなるかな。死ぬことはないし。」みたいな感じでした(笑)。ですが、一応、私が入院することで迷惑がかかる仕事関係の方や、子どもが関わる学校や学童保育の方にはきちんとお話をしました。