熊本赤十字病院 レシピエントインタビュー第2回目は、数年前に献腎移植を受けられた川上順子さん(仮名)です。
川上さんは30代後半に透析導入となり、その後、約25年間の透析治療を経て、献腎移植を受けられました。自己管理を徹底しながら透析を続けていたころのお話や、移植後、毎日を丁寧に、感謝の気持ちを忘れずに過ごされている様子など、さまざまなお話をお聞きしました。
川上さんが移植を受けるまでの経緯
- 30代半ば 微熱、倦怠感が続く
- 30代半ば 開業医に通院
- 30代後半 熊本赤十字病院に通院
-
30代後半 血液透析導入
-
60代半ば 献腎移植手術
シャントは命綱
腎不全の症状はいつ頃から出始めたのでしょうか。
川上さん(レシピエント):
幼い頃から風邪を引きやすく、扁桃腺が腫れて40℃くらいの熱を出すこともありました。腎不全の症状が出始めたのは30代半ばくらいからで、体がだるく微熱が続くようになりました。近医を受診したのですが一向に改善しなかったので、1年ほど休職して実家に帰り、近くの病院に通院しました。その後、少し症状が落ち着いてきたので復職しましたが、再び倦怠感や微熱が続くようになったので、熊本赤十字病院の内科で検査を受けたところ、慢性糸球体腎炎と診断されました。腎臓の専門医から、腎臓が50%しか機能していないので、いずれ透析が必要になるとの説明を受けました。
その時、初めて「透析」という言葉を聞きました。透析は一生続けなければならないことを知り、病気の重大さに気付きました。
それから何年後に透析導入されたのですか。
川上さん:
約1年後にシャントを作り、血液透析導入となりました。かなり大きいダイアライザ(透析器)を使って、高血流※で透析をしていたからか、透析導入後はとても体調が良く、元気一杯でした。シャントのトラブル(狭窄、閉塞など)も一度もありませんでした。
しかし、移植の前年、透析導入から24年目には透析中に血圧が下がるようになってしまいました。血管も細くなってきてしまったので、穿刺の際には上手な看護師さんを逆指名してお願いするようにしていました。
※血流量:シャントから血液を取り出し、ダイアライザに流入させる血液の速度。より多くの血液を浄化して、透析の効率を上げるには、透析時間を長くすること、透析の回数を増やすこと、血流量を増やすことが必要。
20数年、シャントトラブルが無かったというのはすごいですね。
川上さん:
私はかなり若い時に透析導入しましたので、シャントは自分の命綱だということを透析室の看護師さんにも口うるさく言い、とにかく穿刺で失敗されることが無いように、絶対に上手な人にしか穿刺してもらいませんでした。
杉本レシピエント移植コーディネーター:
当時、私も透析室におりましたが、川上さんの穿刺の際には、川上さんと、一番穿刺が上手い先輩がじっと見ているので、ものすごいプレッシャーでしたね(笑)。
川上さんは透析室に異動してきた看護師には、必ずシャントの大切さを教えてくださいました。
川上さん:
この先もずっと透析を続けなくてはならないということが常に頭にあったので、自分の身は自分で守らなければいけないという意識がとても強かったですね。でも結果的に、長期間に渡って透析を受け続けることができたからこそ、献腎移植を受けることが出来たのだと思います。
透析中の体調管理では、どのようなことを心がけていましたか。
川上さん:
食事に関しては塩分を取り過ぎないように気を付けていました。また、昔から運動は大好きでしたので、透析導入後も、ジムでズンバ、エアロビクス、J-POPダンスなどをやって、よく体を動かしていました。私がかなりよく動くので、周りの人は私が透析をしているとは思わなかったようです(笑)。