ピーエスクリニック レシピエントインタビュー第1回目は、約12年前に献腎移植を受けた金内勝さんです。金内さんは生後間もないころにネフローゼ症候群と診断されて通院を続けていましたが、28歳のときに血液透析導入となり、約17年間の透析治療を経て献腎移植を受けられました。
金内さんは透析中から、博多を拠点に、筆師“錦山亭 金太夫”として活躍され、ポスターや看板、商品パッケージ、カレンダーなど数々の商業デザインを手がけられています。現在も全国各地で作品を制作し、定期的に個展を開くなど、精力的に活動されている金内さんに、さまざまなお話をお聞きすることができました。

金内さんが移植を受けるまでの経緯

  • 0~3歳頃 ネフローゼ症候群と診断され、入退院を繰り返す
  • 25~26歳頃 風邪を引きやすくなる 腎機能が悪化する
  • 28歳 血液透析導入
  • 45歳頃 献腎移植手術

透析導入へ

透析導入となるまではどのような病状だったのですか。

金内さん

金内さん
生後間もないころにネフローゼ症候群と診断され、3歳くらいまで入退院を繰り返していました。当時の主治医からは、「いつ死んでもおかしくない」と言われていたそうです。
25歳くらいからは特に体がだるく感じるようになり、九州大学病院の内科を受診するようになりました。先生には受診した当初から、「いずれ透析をしなければなりません」と言われていたのですが、受診するたびに後ろ向きの話をされたので、半分「死んでもいいや」という気持ちになり、徐々に通院するのをやめてしまいました。
その後、27歳ごろに、めまいや立ちくらみ、嘔吐の症状が出始め、最終的にはまっすぐ歩けなくなってしまったため、あわてて九州大学病院を受診しました。「すぐにシャントを作らないといけません」と言われてそのまま入院となり、シャントが使えるようになるまでは腹膜透析を受け、その後、血液透析に移行しました。

当時、腎移植についてはご存知でしたか。

金内さん
聞いたことはありましたが、どのようなものかはよく分かっていませんでした。周りに移植を受けた人もいませんでした。

透析導入後の体調はどうでしたか。

金内さん
3回に1回くらいは不均衡症候群を起こし、透析開始から1時間半~2時間くらい経つと、ひどい頭痛や嘔吐が起こり、本当に大変でした。また、私は13歳のころに脳膿瘍の手術をしており、けいれんを抑える薬も飲んでいたので、透析を受けるとその薬も抜けてしまい、透析の帰り道に何度かけいれんを起こして倒れたり、家で倒れたりすることもありました。
※脳膿瘍:脳の中に細菌が感染して局所的に膿がたまった状態のこと。中耳炎、副鼻腔炎、心内膜炎など体の他の部分の炎症や外傷などにより、脳内に細菌が侵入するなどして起こる。発熱などの感染症状や頭痛、嘔吐、意識障害などの頭蓋内圧亢進症状、けいれん、運動麻痺、感覚障害などの脳局所症状が認められる。

けいれんの発作もあったということで本当に大変でしたね。

金内さん
後日談ですが、けいれんに関しては、移植後、服用していたけいれんを抑える薬と、免疫抑制薬の飲み合わせが悪いということで、改めて脳外科の診察を受けたところ、もう薬を服用しなくても大丈夫だと診断されました。そのため、移植後はその薬の服用をやめ、今はけいれんやひきつけも起こらなくなりました。

透析中は仕事もしていらっしゃったのですか。

金内さん
20代から今の仕事をしており、当時はまだ大した仕事はできませんでしたが(笑)、各地からお声がかかるだけでうれしくて、出張先で透析を受けながら、文字や絵を描きに行くこともありました。

献腎移植に関しての情報や知識は、いつ、どのようにして知ったのでしょうか。

金内さん
当時は現在のような仕組みがしっかりと出来上がっていなかったので、透析導入から数年後に、透析病院の看護師長が、「献腎移植の希望登録はどうする?希望するなら丸をつけておくよ」と聞かれ、お願いしたという感じです(笑)。その後、日本臓器移植ネットワークの九州沖縄ブロックセンター(当時)ができ、採血などを行って正式な登録をしたと思います。それから4~5年後くらいに移植の連絡をいただきました。

移植の連絡はくると思っていましたか。

金内さん
登録後、ずっと連絡をいただけませんでしたので、「もう登録の継続をやめます」というお話を先生にしたのですが、先生からは、「そんなことを言わないで、登録を続けておきなさい」と言われました。そのようなやり取りがあった後、すぐに連絡をいただきました。