札幌北楡病院 レシピエントインタビュー第1回目は、約1年半前にお母様がドナーとなり生体腎移植手術を受けられた中本真優さんです。
血液透析を受けられていた頃のお話や、移植後充実した毎日を過ごされている現在の様子など、様々なお話をお聞きすることが出来ました。
中本さんが移植を受けるまでの経緯
- 1987年(0歳) 産まれてすぐに腎臓病と診断される
- 2000年(13歳) むくみ、身体のだるさが顕著になる
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2010年(23歳) 血液透析導入
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2012年8月(25歳) 生体腎移植手術
透析導入へ
病状が出始める前はどのような生活でしたか。
中本さん:
産まれてすぐに腎臓病を指摘されていたので、今思えば、だるさ等の症状は常に出ていたのだと思います。小学生まではよく風邪を引いていましたが、中学、高校を卒業してからは、風邪を引くことも全く無く、普通の若い人達と同じように生活していました。あまり激しい運動はしないように言われていたので、学生時代はマラソンや水泳などは基本的にはやらないようにしていましたが、生活は不規則になってしまうことが多かったような気がします。
移植に関しての情報や知識は、いつ、どのようにして知ったのでしょうか。
中本さん:
両親は二人とも腎臓は全く悪くないのですが、なぜか4人姉妹は皆腎臓が弱く、一番上の姉が既にご主人がドナーとなり腎移植を受けていましたので、姉からいろいろな情報を教えてもらっていました。
移植をした姉からは、「あなたたちも体に気を付けないと、いつ来るかわからないからね」と言われていましたが、自分はまだ透析もしていなかったので「お姉ちゃん元気になったなあ、透析の頃と全然違うね。移植ってすごいね。」と、かなり人ごとのように話をしていました。
母はもともと一番上の姉に腎臓を提供しようと思っていたのですが、一番上の姉からすると、妹達も腎臓が悪いのを知っていたので、「まだ独身の妹がいるのに自分が先にもらうことはできない」、ということで、ご主人から腎臓を提供して頂いたそうです。
いいお姉さんとお義兄さんですね。
中本さん:
はい、本当にそう思います。その後私は社会人になり、地元のアパレルの店舗で働くようになったのですが、立ち仕事ということもあり、一気に疲れるようになりました。突然すごい倦怠感に襲われ、貧血で倒れることもありましたが、仕事が忙しかったこともあり、そのような状態にも関わらずあまり病院には行っていませんでした。その間にどんどん腎臓が悪くなってしまったようで、最後に倒れて病院に行った時にはすぐに透析ということになり、足から緊急透析をして、輸血をし、入院となりました。その後シャントを作って、本格的に血液透析に入りました。
透析生活は、むくみや疲れはありましたが、普通に元気で、「本当に真優ちゃん透析しているの?」と周りの人から言われるくらいでした。透析で水分を身体から抜くと、終わった後に毎回すっきりとしていました。血液透析自体はとてもうまくいっていました。
ただ、姉達からは、「真優、このままずっと透析を続けるの?」と言われていました。また、母はもともと一番上の姉の時にもドナーになろうと思っていたくらいですので、私にも「真優はまだ20代前半で、これからいろいろなことをやりたいでしょ」と将来のことをとても考えてくれていました。そして、一番上の姉が移植を受けて元気になった姿を見ていたこともあり、移植をしたほうがいいという結論になりました。