沖永良部島 レシピエントインタビュー第3回目は、約2年半前に娘さんがドナーとなり生体腎移植を受けた今井光子さんです。今井さんは大阪にお住まいのころから高血圧のため通院していましたが、沖永良部島に移住する前の血液検査で、腎機能が悪化していることが分かりました。島に移住後も保存療法を続けましたが、代替療法が必要な状況となり、さまざまな葛藤がありながらも娘さんの温かい申し出を受け入れ、移植手術を受けました。移植手術に至るまでのお話や、移植後の島での生活、娘さんとの微笑ましい関係など、さまざまなお話をお聞きしました。

今井さんが移植を受けるまでの経緯

  • 2013年12月頃 腎機能の悪化を指摘される
  • 2014年 沖永良部島に移住。徳洲会病院に通院し始める
  • 2016年(60歳) 生体腎移植手術

突然の腎機能悪化

腎機能の悪化が指摘されたのはいつ頃ですか。

今井さん:
もともと大阪に住んでおり、その頃から血圧が高かったので通院はしていました。主人が沖永良部島出身で、夫婦でこちらに移住することになったので、念のため血液検査を受けたところ、腎臓が悪いことが分かりました。その後、果物を控えるなどの食事制限はしていましたが、まさか透析が必要な状態になるとは思っていませんでした。

平野先生:
こちらの病院を初めて受診された時には、クレアチン値がすでに4mg/dLになっていました。

当時は、透析などの腎代替療法についてどの程度知っていましたか。

今井さん:
全然知らなかったので、最初は、「腎臓病は治るのかしら?」とさえ思っていました。

平野先生:
今井さんには、外来の際に腎代替療法の説明をさせていただき、まだ若いので、腎移植を勧めましたね。

今井さん:
平野先生のお話を最初にお聞きした時には、正直、「え?移植?」という感じでしたね(笑)。誰かからもらうなんてありえないな、と思いました。
当時私は本当に無知だったので、その後、本を読んだりして勉強し、透析を受けるのは大変だということが分かり、私は血管が細く透析を受け続けられる自信が無かったので、平野先生からのアドバイス通り、腎移植を検討してみることになりました。

家族の愛情

ドナーはどのようにして決まったのですか。

今井さん

今井さん:
家族会議をして、私の主人や兄弟(姉妹)が提供を申し出てくれたのですが、術前のスクリーニングで皆、ドナーの適応条件に合わないことが分かりました。さらに私の妹のご主人も提供を申し出てくれたのですが、それはさすがに受けられないので、妹夫婦の優しい気持ちだけ頂きました。
そんな風に家族皆が提供を申し出てくれたので、私も腎移植の方に気持ちが傾いていたのですが、結果、皆ドナーになるのは難しいということが分かったところ、実の娘が提供を申し出てくれたのです。でも私は娘からもらうことなど絶対にできないと思っていました。

娘さんからはどのようなお話があったのですか。

今井さん:
娘は、「お母さんが透析を受けるのは(血管も細いし)無理だと分かっているから、私は後悔したくない。私のをあげるから安心して。」と言ってくれました。中学生や小学生の孫たち(娘の子どもたち)も、「おばあちゃん、早く良くなってね」と言ってくれました。
本来であれば私が娘にいろいろとやってあげなければならないのに、本当に、つらい気持ちを通り越して、涙しか出ませんでした。

平野先生:
今井さんが腎移植を検討されていた時には、たくさんのご親族の方に移植についての説明をさせていただきました。娘さんのご家族にも大阪医大に来ていただいて、話をしましたね。

その後、手術までは順調でしたか。

今井さん:
やはり娘は手術が近づくと不安な気持ちも出てきたようで、私も娘の気持ちがとても良く分かったので、「それであればお母さんはここで透析を受ければいいので大丈夫よ。この話は白紙に戻そう。」と話しました。

最終的にはどのようにして移植を受けることを決めたのですか。

今井さん:
私の息子の家で、娘と一緒に3人で話をして決めました。娘はご主人(娘婿)ともじっくり相談したようで、「お母さん、悩まなくていいから。私、決めたから、手術に向けてがんばろう。」と言ってくれました。「そこまであなたが言ってくれるなら...本当にごめんね」と言って移植を受けることにしました。娘とは泣きながら、喧嘩しながら、本当にたくさん話をしました。