今回「MediPress腎移植」では、新小倉病院 脳神経外科部長 吉開先生に、臓器提供側である脳外科医から見た移植医療、臓器提供の現場でのお話を頂き、シリーズでお届けしていきたいと思います。吉開先生は、2013年5月に文芸社より発売された 『移植医療 -臓器提供の真実-』 の著者でもいらっしゃいます。

【吉開先生プロフィール】
1960年 福岡県生まれ
1984年 九州大学医学部卒 同年同大学脳神経外科教室に入局
1987年 九州大学臨床大学院進学
1991年 医学博士取得 米国留学
1993年 日本脳神経外科学会専門医取得
その後、主に脳血管障害や重症頭部外傷などの救急分野に従事する間に、多くの心停止下臓器提供患者を担当。そして、脳神経外科医師としての中立的な立場で日本の移植医療の問題点を解析し、日本全国で多くの啓発活動を展開している。

脳外科医から見た臓器提供 第1回 「移植医療を混乱させた脳死」

臓器移植法改正とドナー数の変遷

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日本には、世界最先端レベルの移植医療技術と、中立な斡旋機関としての日本臓器移植ネットワークが確立されています。しかし、臓器提供者数が世界最低レベル(人口100万人当たりの提供者数:日本0.8~0.9名、欧米15~25名、スペイン35名)であることは非常に残念です。
脳死下での提供者数は、旧臓器移植法下では年平均10名程度でしたが、 2010年7月に改正法が施行された後、 2011年44名、2012年45名と、30~40名ほど増えました(図1)。
しかし一方、心停止下での提供者(主に腎臓の提供者)の数は、旧法下では年間94名程度でしたが、改正法下では2011年68名、2012年65名と年間30名ほど減少し、結局腎臓提供者の総数はさほど増えませんでした。即ち、脳死下の提供者の増加は、ご本人が臓器移植意思表示カードを所持していなくとも、ご家族の判断で提供が可能となった効果でもたらされましたが、全体的な臓器提供が底上げされた訳ではありません。つまり、法律の力で相対的に脳死下提供が増えただけであり、啓発により提供総数が増えたわけではないのです。
では、なぜ日本では臓器移植、特に臓器提供が少ないのでしょうか。それは、これまでの啓発活動が、臓器提供者や提供側施設の視点で提供の問題点を説いて来なかったこと、そしてメディアにより広められた誤った情報を逐一訂正して来なかったことにあると、私は思います。

臓器別の移植待機者数と啓発推進の優先順位

待機

現在、医療従事者を含む多くの日本国民は、脳死にならなければ臓器移植はできない、あるいは、脳死を人の死と思わなければ臓器移植はできないと誤解し、脳死への抵抗感から、臓器移植に関する興味や知識の発展を停止させています。これでは心停止下の腎臓提供が増えるはずもなく、移植についての正しい知識が広まるはずもありません。
2013年4月末日現在、臓器別の移植待機者数は、総数13,681名中、脳死下あるいは心停止下いずれでも提供可能な腎臓12,626名(92.3%)、膵臓203名(1.5%)で、脳死下でのみ提供可能な心臓254名(1.9%)、肺207名(1.5%)、肝臓389名(2.8%)、小腸2名となっています(図2)。
つまり、ごく自然な死亡のあり方である心停止での腎臓提供だけでも、全体の92.3%を占める腎臓移植待機者を救えるのです。そして、脳死よりもハードルが低い心停止での腎臓提供を第一に進めることで、結果的には脳死下提供を含む移植医療が一般に定着しやすくなると、私は考えています。

脳死とは何なのか

では、脳死とは一体何なのでしょうか。脳神経外科専門医の立場から申し上げますと、脳死とは、患者さんが死んだ状態ではありません。単に、脳の機能が全てダメになった状態、即ち「脳機能喪失状態」なのです。即ちこれは、意識や呼吸や運動機能がわずかでも回復することは絶対にあり得ず、心臓が近いうちに止まってしまう絶望的な危篤状態と言えます。しかしこの状態でも、心臓は血液を送り出し、お体は温かく、皮膚はピンク色を保っています。そして脳以外の臓器は立派に生きており、その臓器を移植に使いたいというのが脳死下移植医療の根本です。
そこで、臓器移植法では、「ご本人あるいはご家族が、脳死状態での臓器提供を承諾される場合に限って、脳死状態を人の死と規定しよう。それによって、移植医が脳死の方の温かい体を切開し、臓器を摘出し、お体を冷たくしてご家族に戻すことを合法行為としよう。」と決めたわけです。
簡単に言うと、脳死(脳機能喪失状態)は、自然科学的には人の死ではありませんが、法的には人の死と規定されたのです。この、非常に分かりやすく臓器提供に賛成あるいは反対する誰もが受容できる説明が、今までなぜなされなかったのでしょうか。それは、脳死の説明をするのが主に、臓器提供を受ける立場にある移植医や臓器提供を推進する立場にあるコーディネーターであったからだと思います。臓器提供を受ける立場や、推進したい立場から、脳死は「自然科学的には人の死ではない」 と説明すれば、世間は混乱するでしょう。
しかしその結果、法が改正されても、依然として一般啓発や提供数の底上げはなされていません。そこで、私は「脳神経外科医師としての中立な立場で客観的に真実を語る」ことが、結果的に移植医療の真の推進に繫がるものと信じ、この主旨で啓発講演を重ね、論文や著書にも著してきました。

臓器提供の考え方

では、個人が臓器提供をどうしようかと考える際、どの様な順番で何を検討すればよいかを説明します。
まず第一問として、自分が臓器を提供したいか否かを考えてください。ここで臓器を提供したくなければ、それで結構ですし充分です。カード裏面の 臓器を提供したくない の欄に印をつけ、お財布などに入れられても結構でしょう。
次に、第一問で臓器を提供したいと考えた方だけ、次の第二問に進んでください。第二問では、自分が「脳死状態を人の死とする規定」を受け入れるか否かを考えてください。受け入れないならば心停止下臓器提供へ、受け入れるならば脳死下臓器提供へ進むことになります。そしてその意思をカードに記載されても結構でしょう。なお、カードに臓器提供の承諾のサインをしても、それで提供が決定するわけではありません。提供するか否かは、その方のご家族が最終的に決めます。つまり、カードへの承諾のサインは、ご家族あての参考資料なのです。
いずれにしても、臓器提供を検討する際に、第一問として「脳死は人の死なのか」を考えますと、何が何だか分からなくなってしまいます。

筆者自身は臓器提供をどの様に考えるか

では、脳の専門科である私自身が、臓器提供をどの様に考えているかを説明します。皆様のご参考にされてください。
まず、自分自身が臓器提供するか否かの問題です。私自身は、脳死を人の死とは考えていませんが、生き延びる望みのない絶望的な状態と考え、脳死あるいは心停止で臓器を提供し人の役に立ちたいと思っています。そしてカードに提供同意のサインを済ませ、家族にもその旨を伝えています。しかし、実際に私が瀕死の状態になった時に、私の家族が私の臓器提供に同意するか否かは全く分かりません。家族に任せたいと思います。私は、家族の反対を押し切ってまで臓器を提供したいとも思いません。簡単に言うと、臓器を提供したいとは思いますが、結果的にはどちらでも構いません。
次に、家族の臓器提供に私が同意するか否かの問題です。私には、大切な妻と三人の子供達がいますが、家族の誰一人としてその様な瀕死の状態にはなって欲しくありません。それでも、もしその様な悲惨な状況になり、本人が提供承諾のカードを持っていたと仮定します。それでも、私が、その時にどの様に決断するかを今決めておくことはとても出来ません。その場になって初めて悩み、周囲と相談して決めるでしょう。
臓器移植法改正時に、メディアはこぞって、臓器提供するかどうかを決めておくようにとの主旨で報道しました。しかし家庭内で軽く話題にしておく程度で充分であり、 決断を強いるような必要は全くないのです。

次回は、私が実際に関わった臓器提供の経験をもとに、脳死下と心停止下提供の相違点などを解説する予定です。