ドナーインタビュー第4回目は、約10年前、63歳の時に娘さんの生体腎ドナーとなられた具島君枝さんです。レシピエントの真里子さん(娘さん)は、19年の透析期間を経て生体腎移植を受けられました。君枝さんがドナーとなられた経緯や、臓器提供から10年たった現在も、踊りやスポーツ、旅行など、毎日元気に活動的に過ごしていらっしゃる様子などをお聞きすることができました。
レシピエントの移植までの経緯
- 1980年(20歳)頃 突然痩せ始める。
- 1985年(25歳)頃 会社の健診で極度の貧血と診断される。腎不全と診断される。
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1985年(25歳)頃 血液透析導入
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2004年4月(43歳) 生体腎移植手術 ドナー(君枝さん)63歳
- 現在:移植後約10年※取材時
突然の透析導入
真里子さん(娘さん)が腎不全となる前は、腎移植についてはどの程度の知識をお持ちでしたか。
君枝さん:
娘が腎不全になる前は、移植のことはもちろん、透析のことも知りませんでした。娘の病気の悪化に伴い、病院で話を聞いたり、本を読むなどして移植の知識を得ました。
真里子さんはいつごろから症状が出始めたのでしょうか。
君枝さん:
娘は、20歳くらいの時に突然痩せ始め、「おかしいね」と言っていたのですが、そのうちとても喉が乾くようになり、水をやかん1個分くらいはペロッと飲んでしまうようになりました。最初は糖尿病か尿崩症だと思い、病院で検査を受けたのですが、その時は何も異常はないと診断されました。
娘はその後も普通の生活を続け、仕事(販売職)もしていましたが、25歳の時に会社の健康診断で、「極度の貧血です」と診断された後、急激に悪くなって腎不全と診断され、総合病院に2カ月間入院しました。原因も分からず、何も理解する間もないほどの早さでシャントを作らなければならなくなり、血液透析導入となりました。長期入院の必要があったため、仕事も辞めなければなりませんでした。
真里子さんが25歳で透析導入となった時には、移植の話はあったのでしょうか。
君枝さん:
いいえ。その時は、「腹膜透析にするのか、血液透析にするのか」という話はありましたが、移植の話は全く出ませんでした。
その後、透析病院の先生から、「腎移植という治療法もあります」という話をお聞きし、献腎移植の希望登録をしました。透析導入当時は、生体腎移植の話は無く、献腎移植の話のみでした。
その後19年間、真里子さんは透析治療を続けたわけですが、透析中の体調はいかがでしたか。
君枝さん:
娘は、透析には自分で車を運転して行っていましたし、パートで1日4~5時間働いたり、自宅では自分で料理などもして普通に生活できていましたが、透析を受けた当日は、帰宅すると、「きつい、きつい」と言って、本当につらそうでしたね。
透析導入して3年くらいたったころ、透析病院の先生に、生体腎移植についてお聞きしたのですが、「ドナーとレシピエントの血液型が同じでないと移植はできません」と言われました。主人は娘と同じ血液型でしたので、早速検査をして提供可能だということが分かり、移植手術をするという話になっていたのですが、娘の方が、輸血が原因のC型肝炎に感染していたため、移植を断念しました。私と娘は血液型が違うので、「私はドナーにはなれない」と思い込んでいました。
(※一般的に血液型不適合移植ができるようになったのは2000年代に入ってからのことです。)
そして、移植を断念してから17~18年、娘は透析治療をしながら生活してきました。