血液型不適合移植
一度移植を断念された後、再度移植を検討されたのですか。
君枝さん:
はい、検討しました。でも、C型肝炎の治療に非常に長い時間がかかりました。透析をしながらインターフェロン治療をして、肝炎が治ったのは発病から10年後くらいでした。
その後、2000年くらいに、今度は透析病院の先生の方から、「移植を検討してみてはどうか」とのお話をいただき、親子3人で大学病院に行き、まずは血液型が同じ父親が検査をしました。検査の結果、今度は父親の血糖値が高かったため、再度移植を断念しました。しかし、その時先生が、「血液型が違っても移植はできますよ」とおっしゃったのです。私はすぐに、「どうか私の腎臓を使ってください」とお願いしました。
「血液型不適合でも移植はできる」と聞いた時は驚かれましたか。
君枝さん:
とても驚きました。ただ、「レシピエントは脾臓を摘出する必要があります」と言われました。今は良い薬があるようで、その薬を移植前に投与することで、血液型不適合移植の場合でも脾臓摘出はされないようですが、当時は違いました。
真里子さん:
脾臓摘出手術は本当に痛かったです。術後もずっと痛みました。そして、その手術の1週間後ぐらいに、腎移植の手術をしたのです。左も右もおなかを切ったので、本当にきつかったです。また、ドナーの母と血液型が違うので、血漿交換をしなければなりませんでした。私が移植手術を受けたのは10年前ですので、治療法に関しても、今よりも確立されていない部分が多かったようで、何度も何度も血漿交換をしなければならず、本当に大変でした。
また、移植後の拒絶反応もひどく、「移植腎を取り出さなければならないかもしれない…」というくらいに状態が悪くなったこともありました。私はアレルギーもたくさん持っていたので大変でした。先生方が頑張ってくださり、なんとかなりましたが、その後の治療も本当に大変でしたね。結局、病院には5カ月くらい入院していました。今はこんなに元気なので、 当時あんなにつらかったのが不思議な感じがします。母も、「人間は、痛みとか、ああいうつらいことを忘れるからいいね」とよく言っていますね(笑)。
先生を信じて
ドナーになれる可能性があると知った時は、どのようなお気持ちでしたか。
君枝さん:
早く検査をしていただいて、一日も早く移植手術をしたいと思いました。
ドナーとしての不安や心配はどのように解決しましたか。
君枝さん:
「不安や心配はなかった」とは言えませんが、長い間透析を続けてきて、娘の苦しそうな姿、顔を見るたびに、「親が代われるものなら代わってあげたい」と何度も思っていましたので、「ドナーになることができて良かった、これで娘も楽になれるのだ」と思うと、いろいろなことが気にならなくなりました。
それと、「担当の先生の話をよく聞いて、先生を信じて託したい」と思いました。先生には、疑問に思ったことを徹底的に質問しました。「今まで透析をしてきたけれども、移植後は大丈夫か」「(アレルギーがたくさんあるけれども)すぐに拒絶反応が起きて、移植腎を出さないといけないような状態になったときは、どうなるのか」というようなことをお聞きしたと思います。先生もじっくりと話をしてくださったので、「もう、先生を信用するしかないな」と思いました。自分が実際に何かできるわけでもないですしね。やっぱり、「こうかな、ああかな」と思っているだけでは駄目で、先生に質問や思いをぶつけて、しっかりとお聞きすることが大切だと思います。
先生のどのような言葉が一番印象に残っていますか
君枝さん:
「血液型が違うのですが、先生、なんとか移植できませんか」とお聞きした時に、「大丈夫ですよ」とおっしゃってくださったことです。あの一言は本当にうれしかったですね。「ああ、よかったー」「やったー!」という感じでしたね。
真里子さんは、「移植ができそうだ」と聞いた時には、どう思われましたか。
真里子さん:
母は健康で元気でしたので、「やはり、元気な人に傷をつけるというのはちょっと…」と考えました。母が病院に行ったのは出産の時くらいで、病気やけがで手術や入院をしたことはありませんでしたので。
それほど健康だから、ドナーになれたのですけどね(笑)。
真里子さん:
そうですね(笑)。でも、「痛い目に会わせるのだろうな」というのが不安でした。自分は治るためなので、痛くても仕方がないのですが、健康な人、特に親に対しては、「申し訳ない」という気持ちが大きかったですね。
一方で、移植をしたら、「運動もできるだろうし、行きたい所にも行けるだろうし、 復職もできるだろう」という気持ちも大きかったです。