沖永良部島 レシピエントインタビュー第2回目は、約6年前に弟さんがドナーとなり生体腎移植を受けた久野尚子さんです。久野さんは多発性嚢胞腎による腎機能低下で、54歳の時に血液透析導入となりました。透析導入から約12年後、弟さんの温かい申し出によって腎移植に至るまでのお話や、移植後の現在、大好きな果物をたくさん食べたり、畑仕事をしたりと、穏やかな毎日を送られている様子など、さまざまなお話をお聞きしました。
久野さんが移植を受けるまでの経緯
- 多発性嚢胞腎による腎機能低下
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2000年(54歳) 血液透析導入
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2012年(66歳) 生体腎移植手術
透析導入へ
まず、透析導入までの状況について教えてください。
久野さん:
私は多発性嚢胞腎による腎機能の低下で、54歳の時に透析導入となりました。当時は大阪に住んでいましたので、導入後数年は大阪で透析を受けていました。その後、58歳の時に故郷であるこの島に戻り、こちらの沖永良部徳洲会病院で透析を受けるようになりました。
透析導入後の体調はどうでしたか。
久野さん:
透析中は体重管理がうまくいき、合併症もありませんでしたので、特に大変なことはありませんでした。
通院という面では、大阪に住んでいた時はバスで透析施設まで行かなければならず、お弁当も持参しなければならなかったので大変でしたが、こちらの病院に転院してからは、食事は出るし、送迎もあるのでとても楽でした。
平野先生:
ただ、嚢胞腎の治療は大変でしたね。何回か腎動脈塞栓術※や肝動脈塞栓術をしましたが、効果があまり出ず、ほとんど小さくなりませんでした。
※腎動脈塞栓術:太腿の動脈からカテーテルを挿入して金属コイルなどの小さな塞栓物で腎臓脈に栓をするようにして詰め、腎臓を縮小させる方法。
その後、腎移植については、いつ、どのようにして知りましたか。
久野さん:
たしか透析導入から5~6年経ったころ、たまたま腎移植に関する講演会があり、そこで腎移植という治療法があることを初めて知りました。大阪で透析を受けていた時には一度も移植の話を聞いたことがありませんでした。
講演を聞いて、なぜ移植を受けたいと思ったのですか。
久野さん:
移植をすれば食事制限が無くなり、何でも食べられることを知り、移植を受けたいと思いました。私は島のマンゴーやバナナなど、果物が大好きなのですが、透析中はカリウム制限でほとんど果物を食べることが出来ませんでしたし、その他の食事もいろいろと制限がありましたので。
平野先生:
久野さんはカリウム値が上がりやすかったですね。小さいお芋を食べて、手足がしびれて体に力が入らないと、病院に連絡をしてきたこともありました。
久野さん:
ある夜起きてトイレに行こうと思ったら動けなくなっていて、妹に電話して病院に連れてきてもらい、点滴を受けました(笑)。本当に小さいお芋を食べただけなのですが、高カリウム血症を起こしていたようです。