沖永良部島 レシピエントインタビュー第1回目は、約7年前、72歳の時にお姉様がドナーとなり生体腎移植を受けた国分末弘さんです。国分さんは50代前半に透析導入となり、その後約20年間の透析治療を経て、生体腎移植を受けました。透析治療時代の後半はひどい頭痛に悩まされ、また移植手術後には厳しい状況もありましたが、それらの苦難を乗り越え、現在は充実した毎日を送っていらっしゃいます。国分さんと主治医の平野先生から、さまざまなお話をお聞きしました。

国分さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1990年(52歳) 会社の健診で蛋白尿が出る
  • 1991年(53歳) 病院で検査を受ける(クレアチニン値6mg/dL)
  • 1991年(53歳) 血液透析導入
  • 2011年(72歳) 生体腎移植手術

お酒の匂いがしなくなって

透析導入となるまでの状況について聞かせてください。

国分さん
特に大きな病気をすることもなく普通に生活していましたが、52歳の時に職場の健診で蛋白尿を指摘され、検査を受けたところクレアチニンがすでに6mg/dLあり、その翌年に血液透析導入となりました。それまで目立った自覚症状は無かったのですが、蛋白尿を指摘されたころには、お酒を飲んでもお酒の匂いがしなかったことを覚えています。透析導入当初は半年ほど鹿児島で生活しながら透析を受け、その後島に戻り、こちらの病院で約20年間透析を受けました。

透析導入になった時には、透析についての知識はどのくらいお持ちでしたか。

国分さん
透析がどのような治療か全く知りませんでしたので、とても戸惑いましたね。

透析治療で苦労されたことはありますか。

国分さん

国分さん
導入当初は元気でしたので、透析を受けながら十分生活できると思っていましたが、導入から10年を超えたころから体調が急激に悪くなり、毎日頭痛が続き本当に苦しかったです。透析を受けた日も頭痛が治まらないので、自宅に帰り、ベッドの下に洗面器を置いて、いつ吐いてもいいようにしていました。ダイアライザを変えたり、いろいろな痛め止めを飲んだりしましたが頭痛は治まらず、我慢、我慢の日々でした。しかし、腎移植手術の翌日には頭痛が消えたので驚きましたね。
また、島内には腎臓の専門医がいないので、専門医に診てもらうためにその都度、島外の病院に行かなければならず、離島のため、飛行機代が高く大変でした。

平野先生
国分さんは透析導入当初は体調も安定していたと思うのですが、導入後10年を経過したくらいから少しずつ体調が悪くなり、20年を超えたくらいから耐えられなくなったという感じだったと思います。透析効率は悪くなかったと思いますが、頭痛が続いていましたね。

その後、どのようにして腎移植という治療法があることを知ったのですか。

国分さん
以前から腎移植という治療法があることは聞いていましたが、自分に関係があることだとは思っていませんでした。
しかし、激しい頭痛が続き毎日の生活がしんどかった頃に、知り合いの先生から、最近は免疫抑制薬が良くなり、ドナーとレシピエントの血液型が違っても腎移植ができるということを教えていただき、妻の勧めもあって移植について検討し始めました。
その後、私の姉がドナーになることを申し出てくれ、移植手術に向けて進めていくことになりました。

移植手術を受ける際に、一番大変だったことはどのようなことですか。

国分さん
術前検査と入院の際に二度、島外の移植施設に行かなければなりませんでしたので、旅費がかかり大変でした。医療費に関しては、保険や各種助成制度があるので、自己負担は数万円程度ですが、島外の施設で腎移植を受けるので、別途、航空運賃や宿泊・滞在費などの費用がかかります。そのため、私が腎友会の会長をしていた時に、腎移植手術を受ける際の助成に関する嘆願書を出し、私が移植したその年に助成制度※が出来ました。現在は、島民の方が腎移植を受ける際の航空運賃や船舶運賃、宿泊費の面での自己負担が以前と比べて軽くなっています。

※沖永良部島 地元自治体による腎移植の際の助成制度 2018年5月現在
詳細については各自治体にお問合せください。
■知名町:臓器機能障害者旅費制度
対象者:臓器移植手術、治療を島外の医療機関で受けるレシピエントとドナー。町内に1年以上在住者
助成額:航空運賃と船舶運賃。3泊までの宿泊費。対象者に対し1回分の旅費で上限は25万円/人。
■和泊町:臓器移植術等旅費助成
対象者:臓器の移植術および治療を島外の医療機関で受けるレシピエントとドナー。町内在住。
助成の回数と金額:対象者に対して、同一年度内2回を限度とし和泊町から鹿児島空港、鹿児島新港、那覇空港若しくは那覇港までの航空賃又は船賃の往復実施額及び宿泊料2泊分までの実費額。

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