熊本赤十字病院 レシピエントインタビュー第4回目は、約2年前にご主人がドナーとなり、生体腎移植を受けた河津みき枝さんです。河津さんは10代の頃から蛋白尿を指摘されていましたが、71歳で移植手術を受けるまで目立った自覚症状は無く、仕事や家事を続けてこられました。上木原先生との出会いによって腎移植という治療法を知り、ドナーとなられたご主人やご家族と一緒に手術を乗り越えたお話や、移植後、仕事や趣味に充実した毎日を送られている様子など、さまざまなお話をお聞きしました。
河津さんが移植を受けるまでの経緯
- 10代 紫斑病でステロイドを服用 蛋白尿が出るようになる
- 40代 高血圧のため降圧薬を服用しはじめる
- 2015年頃 そろそろ透析導入が必要と言われる 貧血の薬を服用しはじめる
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2016年7月(71歳) 生体腎移植手術
社会参加への意欲
いつ頃から腎機能が悪化し始めたのですか。
河津さん(レシピエント):
10代の頃に紫斑病を患い蛋白尿が出るようになり、40代からは血圧が高くなって降圧薬を服用するようになりました。定期的に検査を受け、食事にも気を付けていましたが、徐々に腎機能が悪化していきました。移植手術の1年ほど前、いつも診てもらっていた地元の保健師の方から、「近くの病院に、熊本赤十字病院から腎臓の専門医が来られているので、一度診てもらったらどうですか?」と勧められ、上木原先生の外来を受診しました。そこで、そろそろ透析が必要になるという話がありました。
透析が必要と言われて、どう思いましたか。
河津さん:
以前から、いずれは透析をしなければならないとは言われていましたが、透析は絶対にしたくないと思っていました。私はヘルパーの仕事をしているのですが、利用者の中に透析を受けている方がいらっしゃいました。その方は、透析を受ける日は朝6時頃に家を出て病院に行き、午後3時頃に帰宅されるのですが、透析から帰ると疲れ切っていて、ずっとソファに横になっていました。その様子を見ていたので、透析導入になったら仕事や家事ができなくなると思い、先生に、「透析はしたくありません」とお伝えしました。その時に生体腎移植の話をお聞きしました。
上木原先生はいつ頃からそちらの病院で診察をされているのですか。
上木原先生:
7年くらい前から、月1回出張して診察をしています。腎臓病の患者さんを中心に、半日で40~50人くらいの方を診察しています。そろそろ腎代替療法が必要だと思われる方には、血液透析、腹膜透析、腎移植の3つの治療法について説明し、透析病院を紹介したり、熊本赤十字病院での腎移植を紹介したりしています。河津さんには腎移植も視野に入れ、少し早めの段階で代替療法についてお話をしたと思います。
どのような方に腎移植を勧めることが多いですか。
上木原先生:
最初の段階では、見た目が元気なことを重視しています。河津さんは70歳くらいでしたが、とても元気で若く見え、仕事もしていて、今後も仕事を続けたいという強い希望がありました。そのため、透析と比べて復職率が高い腎移植を検討してみてはどうかとお話ししました。河津さんのような方が、仕事ができなくなってしまうのは、日本の人的資源の損失にも繋がりますから。
生体腎移植の話を聞いて、どう思いましたか。
河津さん:
先生からは、腎移植を受けるには年齢的にぎりぎりだと言われましたが、まだヘルパーの仕事を続けて社会参加をし続けたいと思っていたので、可能なら移植をしたいと思いました。自宅から透析病院へは車で30分以上かかるので、もし透析導入となれば、仕事はできなくなるし、夫の世話もできなくなると思いました。