戸田中央総合病院レシピエントインタビュー第3回目は、約4年半前にお母様がドナーとなり、生体腎移植を受けられた友永智恵さんです。友永さんは17歳の時にIgA腎症と診断され、31歳の時に、移植手術を予定して大分記念病院で透析導入となりました。その後も看護師として仕事を続け、透析導入から2年半後に戸田中央総合病院で移植手術を受けられました。移植に至るまでのお話や、移植後、ご両親に感謝しながら充実した毎日を過ごしていらっしゃる様子など、さまざまなお話をお聞きすることができました。

友永さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1992年(17歳) 尿検査でひっかかり腎生検を受ける IgA腎症と診断される
  • 1995年(19歳) 扁桃腺摘出術を受ける
  • 2007年(31歳) 血液透析導入
  • 2009年(34歳) 生体腎移植手術

透析導入へ

腎不全の症状が出始めたころの状況について教えてください。

友永さん
中学生のころから、風邪を引くと唾が飲みにくくなるほど喉が腫れることはありましたが、それ以外の症状はありませんでした。17歳でIgA腎症と診断されてからも、蛋白尿や尿潜血はあったものの、まだ腎機能は悪くなかったので、予防的な薬を飲み、通常の生活を送っていました。高校生になると疲れやすくなりましたが、部活をやめて体力が落ちたのかと思っていました。看護師として就職した後も疲れやすい状態は続いていたのですが、疲労感は他人と比べることができないので、特に気にはしていませんでした。27歳のころに検診で血圧が高いことを指摘され、時々頭痛と吐き気があったのは、それが原因だったということが分かりました。その後、腎性貧血になり、階段を上るだけで息が切れるようになり、起床時のまぶたや手指のむくみを毎日感じるようになりました。

その後、透析導入するまではどのような状態でしたか。

友永さん
透析導入の直前の何カ月かは、水がおいしくないと感じるようになり、お茶などの味が付いているものでないと飲めませんでした。また、首のリンパ節が腫れ、その周辺に腫瘤(しゅりゅう)のようなものがいくつもでき、本当に怖かったです。
その後、31歳の時に血液透析導入となったのですが、導入後はむくみが改善し、首のリンパ節の腫瘤もあっという間に消えて、安心しました。

先生、腎不全の症状で、首のリンパ節に複数の腫瘤ができることはよくあるのですか。

東間先生
そのような症状はあまり聞いたことがありませんが、おそらく抵抗力が落ち、細菌感染によるリンパ節炎を起こしていたのだと思います。


移植手術を目指して

透析導入の際には、移植の話は出ていたのですか。

友永さん
両親は、以前から移植について知っていたようで、私が慢性糸球体腎炎と診断されてからずっと、「いずれ移植をしよう」と言っていたのですが、当時の腎臓内科の主治医からは、「まず透析をしてからです」と言われたので、透析導入することになりました。

友永さんご自身には移植に関する知識はあったのですか。

友永さん

友永さん
学生のころは移植に関する知識はありませんでしたが、看護師として就職した後は自分で本を読んだり、主治医から情報を得ていました。
また、母の仕事先のお客様で、腎移植を受けた方がいらっしゃったので、その方からも直接お話をお聞きし、実際に透析導入になった時や移植手術の時に参考にさせていただきました。透析導入の際にはその方から、「大分記念病院には、数多くの腎移植手術を行っている東京女子医科大学病院から先生が来られていますよ」というお話を聞きしたため、主治医に伝えたところ、「あの病院であれば、夜間透析も行っているので、透析を受けながら仕事を続けることもできるし、透析・移植・移植後のフォローまで一貫して診てもらうことができますよ」と勧められました。そのため、移植をする前提で、大分記念病院で透析をすることになりました。

透析導入後の体調はいかがでしたか。

友永さん
透析導入になった時は、「30歳で透析になるなんて…」と本当にショックで泣きましたが、実際導入してみると、とても元気になり、「こんなに楽になるんだ」と思いました。透析自体をきついと感じることもほとんどありませんでした。仕事帰りに透析に行き、透析を受けながら食事を終えると、仕事の疲れと満腹感で寝てしまうことが多かったです。透析が終わると起きて、寝ぼけながら(笑)、病院のスタッフの方にお礼を言って帰っていましたね。

透析中もお仕事を続けていたのですね。

友永さん
そうですね。透析の日は早めに上がらなければなりませんでしたので、職場の皆さんにはご迷惑をおかけしてしまったと思うのですが、さまざまな面で協力していただき、仕事を続けることができました。本当にありがたかったです。また、両親はもちろんのこと、弟の支えにも感謝しています。透析中は、血管が浮き出ている左腕を見られるのが嫌で、夏はずっと左腕にサポーターをつけていたのですが、自宅でもサポーターをつけている私を見た弟が、「暑くないの?」と聞いてきたので、「暑いけど、周りの人が見たら、気持ち悪いやろ?」と答えると、弟は、「家族なんやけん、家ではいいやん」とさらっと言ってくれ、妙にうれしかったのを覚えています。