苦難を乗り越えて

その後の経過はどうでしたか。

金内さん
退院後、10カ月くらいまでは問題なかったのですが、10カ月を過ぎたころ、拒絶反応が起きて1カ月間入院しました。その時はむくみが出たので受診したのですが、そのまま入院になってしまいました。
同じ年の年末にも拒絶反応が起き、2回目の入院をしました。その後も年に1~2回は入院し、病院での年越しは2回経験しました。病院の年末年始は、入院中の患者さんも少ない上に、クリスマスにはケーキも出ますし、年末年始には年越しそば、おせち、お雑煮なども出て、なかなか良かったですね(笑)。


入院中の様子


移植後、これまでにどのくらい入院されたのですか。

金内さん
10回くらいは入院したと思います。肺炎で入院したこともあります。最長で3カ月間の入院もしました。
最初のころは、入退院の繰り返しで精神的にも参ってしまい、「移植しなければよかった……」とぼやいてしまったこともあります。先生には、「そんなことを言ってはだめですよ」と言われましたが。

最近の体調はどうですか。

金内さん
ここ5年くらいは全く入院していません。体調も落ち着いています。

移植後、最初のころは入院も多く大変だったけれど、1つ1つ乗り越えられたのですね。

金内さん
最初は滅入ることもありましたが、慣れてくると入院も楽しかったです。入院する際には画材を用意して、寝るのがもったいないと感じるくらい、次から次へと描いていました。
例えば、入院中の朝、昼、夜の食事で出てくる、お茶が入っていた紙コップを洗って、それにいろいろな絵を描いて、先生、看護師さん、患者さんたちに配っていました。これまでの入院中に絵を描いたコップの数を計算してみたら、全部で2000個くらいになっていました。


紙コップ


北田先生
私は今でも、金内さんにティッシュケースの全面に絵を描いていただいたものを持っています。私たち病院のスタッフも金内さんの絵を楽しみにしていましたね。


ティッシュケース


金内さん
当時は、先生方から、「入院を楽しめるというのはすごいことですよ」と言われていました(笑)。
最初は、入院中に何人もの先生が診察にいらっしゃるので、先生の顔と名前を覚えるために、似顔絵を描いていたのです。北田先生は特徴があるので、とても描きやすかったですね(笑)。


つぶやき


北田先生
金太夫さん(金内さん)の絵や文字は、博多の街でもとても人気があって、街中あちらこちらにあるのですよ。


金内さん
4月に新しく博多駅にオープンする「駅から300歩横丁」の文字も描いています。先週も名古屋にお店のオープンの際に絵を描きに行きました。東京駅の「KITTE|キッテ」の5階にある、「博多もつ鍋 幸 とりもつえん」というお店の絵も描いています。


金太夫さんの作品

 

金内さんの作品にある数々の心に響く言葉は、長年の入院経験、闘病生活から生まれてきたのですね。

金内さん
血液透析を始めた年の暮れに入院していた時に、「何かをしなければ」と思い、頭に浮かぶ言葉をメモしたのが制作の始まりでした。退院したら個展を開きたいと思っていたので、1987年の11月ごろに初めての個展を開きました。いろいろな方に来ていただき、それがきっかけとなって、1989年から新天町の「ギャラリーおいし」というところで毎年個展を開いています。


個展