岡山大学病院 レシピエントインタビュー第1回目は、約7年半前にお父様がドナーとなり、生体腎移植を受けた花﨑沙紀さんです。
花﨑さんは10歳の時にSLE(全身性エリテマトーデス)と診断され、入退院を繰り返していましたが、22歳の時に緊急入院し、そのまま血液透析導入となりました。その約1年後に生体腎移植を受け、移植後にはかわいいお子さんにも恵まれ、充実した毎日を送られています。
とても明るく元気な花﨑さんから、移植までの経緯や移植後の生活について、さまざまなお話をお聞きしました。

花﨑さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1996年(10歳) SLEと診断される
  • 2009年(22歳) 緊急入院
  • 2009年(22歳) 血液透析導入
  • 2010年(23歳) 生体腎移植手術

突然の血液透析導入

まず、いつ頃からSLEの症状が出始めたのでしょうか。

花﨑さん
10歳までは健康で、普通の生活を送っていました。10歳の時に手と足に赤い斑点が出たので近所の皮膚科を受診したのですが、処方された塗り薬では治らなかったため、地元の病院で検査を受けたところ、SLE(全身性エリテマトーデス)と診断されました。
※SLE(全身性エリテマトーデス):
なんらかの原因によって種々の自己抗体が産生され、それによる全身性の炎症性臓器障害を起こす自己免疫疾患。発熱や倦怠感などの症状や、関節、皮膚、腎臓、肺、中枢神経などの内臓のさまざまな症状が、一度に、あるいは経過とともに起こります。かつては致死率も高く治療も難航する疾患でしたが、1950年代にステロイドが使用されるようになり、またその後の治療の進歩により予後も良くなってきています。

その後はどのような生活を送っていましたか。

花﨑さん

花﨑さん
SLEと診断されてからはステロイド(副腎皮質ホルモン)を服用し、入退院を繰り返しながら学校に通っていました。
小学校の時は半年位入院しましたし、中学校の時も入院しました。高校では入学式の翌日から調子が悪くなり、そのまま3カ月位入院しました。その時は担任の先生のおかげで留年にならず、3年間頑張って通学し、無事に卒業しました。
高校卒業後、専門学校に通い始めましたが、2年目に入って体調を崩して入院し、出席日数が足りず留年か退学を選ばなければならなくなり、退学しました。その後は就職し、仕事を続けていました。

腎機能はいつ頃から悪化していったのですか。

花﨑さん
21歳頃からだんだん尿が出なくなりました。その後、体調が悪いのに病院に行かなかったところ、お腹が膨れ上がってきてしまったのです。それでも、「今入院したら、しばらく退院できない」と思い、病院に行くことを拒否していたのですが、ある日、「さすがにまずいな」と思い、突然自分の部屋を綺麗に片付け、自分から入院しました。その2~3日後、血漿交換が必要だったため、岡山大学病院に転院しました。
そして岡山大学病院のICUに入り、付き添ってくれていた母たちに、「また明日ね」と言った後、意識が無くなりました。その時は、三途の川を見たり、病室に居ないはずの人が見えたりと、さまざまな夢や幻覚を見たので、かなり危険な状態だったのだと思います。次の日に目覚めたら、首に管が入っていて、大変なことになっていました。そこで透析が始まりました。

先生、SLEの患者さんは、突然花﨑さんのような状態になることがあるのでしょうか。

荒木先生
きちんと指示通りに薬を飲んでいれば、そのような状態にはならなかったと思いますが、花﨑さんは薬をしばらく飲んでいなかったため、急に悪化してしまったのだと思われます。

花﨑さん
私は小さい頃から薬を飲むのが大嫌いで、「飲んでも治らないのに、なんで飲まなきゃいけないの?」と思い、薬をトイレに流したこともありました。また、思春期の頃は、ステロイドの副作用でムーンフェイスになるのが嫌で、薬を飲まないことも度々ありました。今思えば、薬はきちんと飲むべきだったと思います。
※ムーンフェイス(満月様顔貌):ステロイドの副作用の1つで、顔が満月のように丸くなってしまうこと。