東京医科大学八王子医療センター レシピエントインタビュー第1回目は、約9年前にお父様がドナーとなり、生体腎移植を受けられた高橋実穂さんです。高橋さんは20歳ごろに血液透析導入となり、約10年の透析治療を経て、31歳の時に移植手術を受けられました。移植後にご結婚され、かわいい2人のお子さんに恵まれて、充実した生活を送っていらっしゃる高橋さんから、さまざまなお話をお聞きすることができました。

高橋さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1987年(14歳)頃 学校の尿検査で蛋白尿を指摘される
  • 1988年(15歳)~1990年(17歳)頃 蛋白尿が出ていたが放置
  • 1994年(20歳)頃 血液透析導入
  • 2005年6月(31歳) 生体腎移植手術

突然の透析導入

まず、病状が出始めてから移植手術に至るまでの経過について教えてください。

高橋さん
小学生のころまでは、とても健康で、風邪を引くこともない元気な子どもでした。中学2年生の時、尿検査で蛋白が出たため病院を受診したのですが、その時は血液検査も無く、簡単な診察をされただけでしたので、「たいしたことはない」と思い、そのまま放置していました。高校の3年間もずっと蛋白尿が出ていたので、担任の先生からは、「必ず病院に行くように」と言われていましたが、反抗期だったのか、親にも知らせず、病院に行きませんでした。高校卒業後は美容院で働き始めましたが、研修や練習がとてもハードで疲れていたこともあり、常に貧血のような症状がありました。
働き始めて3年目の20歳のころ、なかなか風邪が治らなかったため、近所の内科を受診したところ、「必ず大きな病院へ行ってください」と言われ、「さすがにまずいな」と思い、総合病院を受診しました。すると、そのまま入院となり、1カ月間の入院中にシャントを作製しました。
その後、美容師の仕事を辞めたくなかったので、通常より早めに透析導入することになりました。導入当初は2週間に1度という頻度で透析を行い、5年間は透析を受けながら美容師の仕事を続けていましたが、徐々に体力の限界を感じるようになったため事務系の仕事に転職し、透析導入から10年が経過したころ、移植手術を受けることになりました。

総合病院を受診してから透析導入までは、あっという間の出来事だったのですね。

高橋さん

高橋さん
そうですね。当時は、自分が置かれた状況が全く理解できませんでした(笑)。入院中に先生から、「シャントだけ作っておこうね。また入院するのは嫌でしょ?」というようなことを言われたので、言われるままにシャントを作りました。その後しばらくして、「じゃあ、ちょっと始めましょうか」と言われた時には、「始めるって何を?」という感じでした(笑)。そこから、2週間に1度の血液透析が始まったのですが、恐らく当時の主治医は、私の性格を考えて、あえてそのような言い方をしてくださったのだと思います。

2週間に1度という頻度で透析導入することもあるのですね。

岩本先生
例えば水が溜まっていて、それを抜くために早めに透析導入するとか、患者さんの状態によっては、そのような対応をすることもあります。ただし、一般的ではありません。
髙橋さんが透析導入された時には、先生から移植についてのお話はありましたか。


高橋さん
透析導入の際、父が先生に、「移植はできないんですか?」と聞いたそうなのですが、当時の主治医からは、「今はまだ反対です。移植しても大変なだけですし、薬の副作用も大変ですよ。」というようなマイナスの話をいろいろとされたので、「それであればとりあえず透析で…」という話になったそうです。


岩本先生
その先生のお考えがあったのだと思いますが、やはりその時点で、透析と移植についての正確な情報を平等に話していただきたかったですね。

その後、透析は順調でしたか。

高橋さん
はい、順調でした。透析が終わってから遊びに行ったりもしていました。ただ、透析導入から10年くらいたつと、少し体がきつくなっていましたね。


岩本先生
透析導入当初は、不均衡症候群などの合併症で大変な方もいらっしゃいますが、その後、透析に慣れてくると、「こんな感じだったら透析でもやっていけそうだから、移植をしなくてもいいかな」とおっしゃる方もいらっしゃいます。しかし、導入から10~20年たつと、導入当初とはさまざまな面で状況が違ってきます。動脈硬化などの透析の合併症が進行し、体調面でもつらいと感じる方も多くなりますね。