その当時でも既に、名古屋第二日赤病院における腎移植手術は700例以上行われていたのですよね?
打田先生:
はい。ただ、当時は夫婦間移植に関しては、やや消極的でした。考えすぎだったのかもしれませんが、当時、夫婦間移植に対しては、「奥様から旦那様へ提供しなければならないというような一種の圧力のようなものが出てきてしまうのではないか」という意見がありました。実際はそのような事は無く、夫婦間移植は2000年以降増え、旦那様から奥様への移植の件数と奥様から旦那様への移植の件数はほぼ半々となっています。
夫婦間移植をされたご夫婦は皆とても幸せそうで、手術後、更に仲が良くなっていらっしゃるように思われます。
棚橋さん:
夫婦間移植によって、夫婦の絆は更に強くなりますね。本当に二人で一人という感じになります。
その後、いつ、ドナーとなろうと決断されたのですか?またどの様な気持ちでドナーとなる事を決められたのでしょうか?
棚橋さん:
移植が可能だと知った時点でドナーとなる事を決めていました。
主人に1日でも長生きして欲しかったですし、これ以上主人が苦しむ姿を、妻として見ていられませんでした。
棚橋さんのご主人はご自身の著書『「透析からの生還~妻からの贈り物」棚橋隆著 文芸社』に、奥様への感謝の気持ちをこの様に書かれています。
以下「透析からの生還~妻からの贈り物」より抜粋
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私は結婚当初より、病歴を含めて慢性腎炎による管理の必要性を話していたし、現に結婚後25年あまりは慢性腎炎も一応の安定を保っていたのでそれほどの心配と迷惑はかけてこなかったと思っていたが、それは独善だったのだろう。近時に至り、思いがけない病状の変化に対して何かと心痛をあたえることになって改めて彼女の貢献度の大きさに気づき、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「念のためHLAの検査を受けてみましょうよ」 ― こんな亭主に対してそれほどまでの献身と愛情の発露を示してくれたことに対して、心より頭が下がった。
彼女はこれまでさしたる病気もしないで健康そのものだった。それなのに、万に一つの確率で適合した場合に、健全な身体にメスを入れて腎臓の一つを摘出することになるのだろうか。おそらくそのことの重要性を考える余裕もなく、あの言葉を発したものと思われる。その崇高な心意気に、今もって感謝している。
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その後検査でHLAのマッチングも非常に良かったとの事ですね。
棚橋さん:
私はO型で、主人はB型ですが、HLAの適合性は5/6ととても良い相性でした。私達夫婦が移植手術を行った当時は、夫婦間移植の場合、血液型は勿論のこと、HLAの適合性についてもかなり重要視されましたが、現在では血液型不適合でも移植は可能となっており、その結果、夫婦間移植も増加していますね。
ドナーとなる事が決まり、移植手術に臨むにあたって不安はありませんでしたか?
棚橋さん:
ドナーになれる事に関しては、嬉しい反面、移植の知識が皆無であった為、未知の世界に足を踏み入れる感じで恐い気持ちが同居していました。
病院側からは非常に懇切丁寧に説明を受けましたが、やはり不安や心配は大きかったです。私達の移植手術が、名古屋第二日赤病院での700何例目かの移植手術だと伺い、その事実で自分を安心させた事を覚えています。「そんなに多くの手術が行われているのであれば、何も心配することはないだろう。手術後のドナーに何かがあるようなら、こんなに多くの手術は行われていないはずだから安心だ」と自分を納得させました。
ドナーとなる事が決まってからは、何か特別に気を付けて生活していらっしゃいましたか?
棚橋さん:
主人が手術を待ち焦がれて楽しみにしているのに、ドナーの私の方の問題で手術が延期になる、或いは不可能にならないように、自分自身の健康状態、怪我、事故などに大変気を付けました。