2019年8月17日~8月24日にかけて、イギリスのニューカッスルゲーツヘッドにて開催された、第22回世界移植者スポーツ大会の様子を、日本チームのチームマネージャー・チームドクターである聖マリアンナ医科大学の丸井祐二先生にレポートしていただきました。
聖マリアンナ医科大学 腎泌尿器外科 丸井祐二先生
美しい景色と温かい人々の街 イギリス・ニューキャッスル
第22回世界移植者スポーツ大会(World Transplant game: WTG)が、イギリスのニューキャッスル(Newcastle)で開催された。ここはロンドンの北約400㎞に位置し、イングランドの中でも古城が多く残された風光明媚なところで、北海にそそぐタイン川の北側沿いに発展してきた都市である。この川には7つの美しい橋が架かっており、それぞれが個性的ないで立ちで、散策に訪れた人たちの目を楽しませている。
中でも、純白に輝くミレニアムブリッジは、なんと巨大な歩道橋になっていた。両岸を結ぶこの真っ白なアーチから無数に伸びる支線によって、なだらかな勾配をもってアーチ型に築かれた橋体が吊り下げられており、橋脚がないため、歩いてみると、まるで川の上を空中歩行しているようであった。そして、大きな船がこの下を通るときは、橋全体が上流に向かって30度ほどお辞儀をすることで橋体を持ち上げ、船のための高さを作り出していた。この橋は大会のシンボルマークになっており、対岸の街、ゲーツヘッド(Gateshead)とのつながりの象徴ともなっていることから、二つの街がしっかりと手を結ぶことを本大会の背景においているように感じられた。そのあらわれとして、本来地図上の正式名称は、Newcastle upon Tyneであるのに、大会開催地として公表された名前は、NewcastleGatesheadという表記がなされていた。そして、大会開催中は特別にこの橋が七色にライトアップされていたのだ。
ミレニアムブリッジ
実は、これらのことが十分に理解できたのは、帰途に就く直前、Team19という赤いTシャツを着たボランティアの地元の方が、空港まで見送りに来てくださって、お話を伺うことができたからでもある。この笑顔を絶やさない、お話し好きで、60歳を超えると思われる方々は、初日の到着の時も、空港で温かく我々を迎えてくださった。そのことを思い出すだけでも、この原稿を書きながら胸と瞼が熱くなるほど、このTeam19の方々、すなわちここニューキャッスルの人々の温かさに触れた9日間でもあった。
空港にてTeam19の方々と
世界中からの参加による移植者のオリンピック
このWTGは、世界中から移植者の選手団が集まって行われる、オリンピック形式の多種目競技会で、日本選手団はその黎明期から参加しており、国際オリンピック協会が公式に認識を表明している数少ない大会である。今回は59ヵ国から約2500人が集まった。まさに移植者のオリンピックである。
私は2007年から日本チームドクター、2015年からチームマネージャーとして参加しているが、毎回感じることがある。それは、この世界大会はいつも参加者に試練がついてまわる、ということだ。それは、今回の5歳から68歳までの参加者全員が、飛行機を乗り継ぎ、空港から宿泊地までの長旅を全員無事に到着することから始まる。総勢24人の選手団であったが、出発の日に超大型台風11号が西日本を襲い、関西空港出発の14人が2日遅れでの出発となってしまった。しかも、朝5時発となったため空港で夜を明かした方々もいた。
そしてもう1つが、言葉の壁の問題だ。競技に参加してよい成績を上げることが何よりの目的であり、そのための環境づくりがなされているであろうと、開催本部の配慮が期待される。ところがどっこい、日本語表記は一つもなく、日本にあるような懇切丁寧な案内表示はどこにもない。水分補給や、食事、移動を含めての配慮や、試合となれば会場に時間通りに到着し、レジストレーションを遅れないで済ませることはもちろん、競技が行われるコートやレーンの番号や時間の確認、自分の名前が載ってなかったときの対応など、参加者自身で何とかしなければならないのだ。もちろん期間中の健康管理も重要だ。世界を相手に戦うということは、こうした試練をまず乗り越えて力を発揮しなければならないと知らされた。
そして大会は進む
大会初日午前は、少し時間があったので、皆で連れ立ってダラム大聖堂に見学に出かけた。鉄道で一駅だが、「世界の車窓から」を思わせるような楽しい小旅行だ。グーグルマップの恩恵にあずかり、川沿いを進むと森の向こうに石造りの美しいダラムの塔が現れた。近づくにつれ大きくなるその姿は、荘厳で、悠久の時を超えてきたようにすら感じさせるほどであった。幸い好天に恵まれ、ダラムの街の美しい家並みを通り過ぎ、広い緑の芝の向こうに、真青の空にそびえるダラム大聖堂の全貌を見たときには、われわれ皆、言葉を忘れるほどであった。美しいステンドグラスを見学し、ハリーポッターの舞台となった回廊に立ったときは、ここに来れてよかったと深い感動を覚え、長旅の疲れも吹き飛ぶように感じた。
ダラム大聖堂と中庭の回廊
午後からは、各国の参加者が、国旗を先頭にユニフォームをまとって市内をパレードして開会式へと向かった。アルファベット順に進むのだが、各国のカラーが現れていて楽しい。アルゼンチンは水色、オランダはオレンジ、アイルランドは緑、ニュージーランドは黒など。国の色を持つ国もさることながら、わが日本の前を歩くイタリアは、国民性がとても表れていて、陽気に肩をくんで歌を歌い、周囲に笑顔を振りまいていた。後ろのカザフスタンは女性1人での勇敢な参加であった。パレードは開会式会場へと続き、しんがりで来た開催国イギリス300人の大集団に続き、ドナーファミリーの方々をスタンディングオベーションで迎えて大会の幕を開けたのであった。
大会2日目、ペタンクから我々の競技は始まった。ペタンクは3つの鉄球を投げ、ビュットという的に近い方の個数が点数となって競う、フランス発祥のボール競技である。日本チームのトップバッターは鈴木さんだ。60代の鈴木さんは、透析前の腎不全のころから尿毒症症状が強く、精神的な落ち込みが何年も続き、身体的な理由で就職も断られた経験があるという。透析を始めるときに腎移植のことを担当医から教わり、献腎移植登録を行って20年間透析を続けた。透析を始めてからは体調がよくなり、スキーやゴルフにも出かけられるようになったという。スポーツに親しむことで、透析期間も体を動かしていたおかげもあって、献腎移植を受けられたときは、ほとんど合併症のない状態で経過したそうだ。そして、腎移植の後は肌の色も見違えるほどよくなり、時間の拘束もなくなって、意欲的に運動を続けていくことができ、WTGへの参加を考えたという。
鈴木さんはタイ、アルゼンチン、イギリスの選手と戦い1勝2敗であった。スズキという名前を聞いて、アルゼンチンの選手はモーターメーカーを想起し、大げさにかなわない手ぶりをしてくれていたのがおかしかった。
ペタンクの様子
大会には800人を超すボランティアが協力してくれていた。中でも、各国担当のアタッシェ(大使の随行員という意味)として、日本には韓国と兼任でデイブさんが来てくれた。彼は川崎で以前働いてくれて少し日本語が話せるので、今回志願してくれたのだという。とても心強い存在で、期間中ずっと日本チームの競技を応援していてくれた。
・・・大会レポート第2弾に続く・・・