2019年8月17日~8月24日にかけて、イギリスのニューカッスルゲーツヘッドにて開催された、第22回世界移植者スポーツ大会の様子を、日本チームのチームマネージャー・チームドクターである聖マリアンナ医科大学の丸井祐二先生にレポートしていただきました。

第22回世界移植者スポーツ大会 大会レポート 第2弾(大会2日目、3日目)
聖マリアンナ医科大学 腎泌尿器外科 丸井祐二先生

関空組の到着

さて、台風11号の影響で、出発が2日後の早朝となった関西空港発の14名は、中継地ドバイで一泊することとなり、到着は18日(大会2日目)のお昼ごろの予定となった。
今大会では、各自のスマートフォンと、競技施設やホテル提供および成田で借りていったWiFiにより、LINEを使っての全体連絡を適宜行った。この方法で、国際線内や空港のWiFi環境を使い、全員が合流するまでの状況のやり取りを行うことができ、また、日本国内からの後方支援である下野理事長や、参加者のご家族も様子を知ることができた。天災に見舞われた関西発の苦労も伝えてもらう一方で、先に現地入りした者からは大会の様子も伝えられたのだが、誇らしい気持ちで日本選手団の入場を心待ちにしていた参加者にとって、開会式に出られなかったことは、なんと寂しく残念な気持ちであったろうかと思うと、便利な連絡手段に対しても複雑な気持であった。

参加各国の大会への現地入りは開会式の行われる17日までであり、到着の日時に合わせて大会本部により大型バスが空港からホテルに手配される。日本は16日の予定であったが、14人は18日に疲労が蓄積した状態で到着するので、なんとか空港からの移動で楽をさせてあげたいと考えていた。空港からは地下鉄があるが、大きな荷物を持って、子どもたちもいる団体では大変である。タクシーでもしょうがないが、輸送手段担当者に事情を話し、何とか18日の到着に合わせたバスを手配してもらえた。当初難しそうな顔をしていた担当であったが、状況に同情してくれた上に、我らがアタッシェのデイブさんも一緒に頼んでくれて、結局17日午後になって、OKを笑顔で出してくれた。そして、18日の午後にホテルで関西空港組を迎え入れることができたとき、やっと日本チームの大会は始まったのであった。

大会2日目

大会2日目には、ギフト・オブ・ライフ・ランという一般も参加できる3kmマラソンが行われ、肝移植者である、ことみさん(19歳)の妹である、そのみさん(中学生)が参加した。ギフト・オブ・ライフ・ランは、移植医療が、死後、または生体からの臓器提供によって成り立つことから、命の贈り物(Gift of Life)として社会に認識されることを目的としたオープン競技である。そのみさんは、母と共にことみさんのサポーターとしての参加だ。ことみさんがお母さんから肝臓移植を受けて回復しているころに妹となった。現在中学で陸上選手として活躍中とのことだから、承知の上とはいえ、競技会で活躍している人たちに囲まれていたら、自分も出場したいと思うに違いない。むしろ、この競技で上位を狙って、と参加前から期待していたことだろう。そんなわけで張り切って会場に出かけ、英語の得意なことみさんとお母さんが応援という形になった。
私が小児病棟で働いていた時に教わったことだが、小さな子供はひとりで入院することは難しい。つまり、お母さんが入院中ずっと寝泊まりしているということだ。だから、何カ月に及ぶ長期入院や、入退院を繰り返したり、頻繁に通院しなくてはならない子どもは、その子がつらいだけでなく、お母さんも一緒にその大変な時期を乗り越えなければならない。そのうえ、兄弟姉妹は、病気の子につきっきりになるお母さんと離れて寂しい思いを強いられているのだ。ことみさんは大学生の現在こそ元気な姿であるが、生体肝移植の後、必ずしも順調な時期ばかりではなかったという。妹である、そのみさんにとっても多くの我慢を強いられる時期が少なくなかったと思われるし、ことみさんの健康の回復は切望されるものであったろう。仲睦まじくしている二人の姿を見てそんなことを考え、そのみさんが応援に来てくれるという事実に、感慨を覚えずにはいられなかった。

そのみさんことみさん
そのみさんとことみさん、ギフト・オブ・ライフ・ランの様子

さて、少し時間を巻き戻したい。今日は、ペタンク会場に同行するため、空港には迎えに行けず、何とか無事に関西空港組が到着してくれるようにと祈っていたのだが、空港到着の報を聞いてほっとしたのもつかの間、トラブル発生の連絡が入った。状況がつかめないが、日本チームの事情を理解してくれているデイブさんが空港に迎えに行ってくれている。どうやら荷物が1つなくなったらしい。当人は当惑し、がっかりし、きっとしょげていることだろう。なんということか。薬は大丈夫かしら。と思いつつ、ホテルのロビーで待っていると、関西空港組が大型バスでホテルに到着し、大きな旅行鞄をひっぱってきた。さすがに疲労の色は隠せないものの、笑顔もみられる。よかった。とりあえずチェックインしてゆっくり休んでもらおう。いろいろの話はシャワーと休憩の後のミーティングの時にしよう。そうだ、荷物は?よくきいてみると、盗まれたり、荷物が出てこなかったりしたのではなくて、空港に1つ置き忘れてきてしまったのだという。それは、ドバイで一泊しなければならなくなったために、1つ増やした手荷物だったとのこと。こんなところにまで天災の影響が及んでいたのかと、改めて彼らの苦労を感じた。幸い、すでにその荷物は見つかって、地元のボランティアの方がこちらに運んでくれているという。届けてくれたビクトリアさんは、空港近くに住む方で、次のようなことをにこやかに話してくれた。自分が以前日本に行ったときに、空港で荷物がなくなってしまったことがあり、その荷物は見つかってホテルに届けてもらった。その恩をここで日本チームに返すことができて嬉しいと。地元の方のやさしさに触れ、救う神ありと、ほっとしたひと時をもらった思いだった。
ここ、ニューキャッスルに住む人々のことは「ジョーディー(Geordie)」と呼ばれるそうだ。ジョーディーたちは、それはそれはにこやかでお話し好き、ここには外国人(stranger)はいない、来ればみんな友達だ、とジョーディーたちは誇らしげに口々に言う。果たして、実際その通りだと滞在中、折に触れ感じたものだった。

さあ、世界が相手だ!大会3日目

大会3日目、本格的に競技が進み始めた。というのも、本式の試合の前には、その会場の下見に行くもので、この世界大会も前日にトレーニングの時間が用意されていた。さらに、そのトレーニングの後に競技主催からの試合の注意と質問のための時間がとられることになっていた。
この日、日本チームからの参加は、なんと5チームに分かれることとなった。ボウリング本戦ヤングチーム(40歳未満)が、心移植者の9歳のさほちゃんと、肝移植者のことみさん、腎移植者の雄大さんで、さほちゃんのご両親とことみさん一家が応援。さほちゃんのお父さんの一弘さんと、ことみさんは英会話堪能でコミュニケーションを任せることができた。
ボウリング本戦シニアチーム(40歳以上)が勝文さん、応援、サポートが丸井マネージャー。
ペタンクペア本戦が、腎移植者の戸塚さんと心移植者のもときさんで、ボランティア(以下Vさん)がサポーター。Vさんも英語はばっちり。
水泳のトレーニングに腎移植者の力さんと心移植者の敬太君、腎移植の末綱さんに加え、力さんの奥様でドナーの恵子さんとテレビ朝日のクルーが応援と取材に同行。クルーが現地通訳を連れているので心強かった。
バドミントンのトレーニングに肝移植者の奈々枝さんと、腎移植者の倉田さん、肝移植者のももかさんと腎移植者の山口さんで、応援が奈々枝さんのお母さんの美香保さん、山口さんの息子さんで5歳のりき君であった。デイブさんに同行を頼んでおいたが、世界大会メダリストである倉田さんとななえさんがいれば、きっと大丈夫だ。

今回参加中最年少、日本チームのアイドル、さほちゃんは心移植者だ。病気の経緯としては、2歳の誕生日にテレビを見ている様子がおかしいことにお母さんが気付き、さまざまな検査の結果、心筋症と診断された。恐竜が鳴くような声で息をするようになり、顔も随分むくんでしまったという。病状の悪化により、心移植しか助かる方法がないと判断されて、アメリカで移植を受けた。心移植を受けるという大きなことは、そこまでの過程は物理的にも、心情的にも、想像を絶する過酷さだと思う。
アメリカに渡ってから、あまりの病状の悪さに、ご両親は、さほちゃんがこのまま助からなかったら、ドナーになることも考えていたという。しかし、さほちゃんは心移植を受けることができた。さほちゃんのドナーとなってくれた方はお子さんだった。その後、ドナーさんの妹さんが2人できたとのこと。それは、ドナーのお母さんとの手紙のやり取りの中で分かったと、さほちゃんのご両親は話してくれた。ドナーのお母さんは、ご自分のお子さんの心臓を受け入れてくれた子に未来があると思うと、お互いに救われる、と言われたそうだ。
帰国したさほちゃんは、移植後回復しても、小学校では特別支援クラスに入らざるを得なかった。そして、体格も小さめで、走り回ることは当然誰よりも遅れていた。それでも、世界大会の舞台に立つときは、負けん気の強い元気な女の子で、前回大会では、表彰台に真ん中にたてなかった写真は、ほっぺたを膨らまして写っていた。今大会もさほちゃんの活躍をみんなが楽しみに応援していた。そして、女子9歳以下のカテゴリーのボウリングで、金メダルを獲得してきたのであった。

ことみさんとさほさん
ことみさん、さほちゃんメダル獲得

一方ことみさんは、見事銅メダルを獲得、雄大さんは善戦するも、惜しくも表彰台には届かなかった。他会場で行われた、ボウリングシニアでは、勝文さんが1ゲーム目では192点の、男子60代カテゴリー中トップスコアだったが、惜しくも残りの2ゲームで抜かれてしまった。
さて、勝文さんのボウリングの試合が終わるや否や、丸井マネージャーとともに、水泳会場に急行した。丸井マネージャーが水泳トレーニング後のミーティングに参加するためだ。このとき、大会が会場間移送を用意してくれていなかったため、タクシーを頼もうとしたのだが、ボランティアの人が車でそちら方面に行くので一緒にと、乗せていってもらうことができた。日本チームであると告げると、日産の大きな工場があると教えてくれたが、イギリスがEU離脱のため、工場が縮小されているとのことであった。答えに窮していると、水泳会場が見えてきて、そこはサンダーランドという古くからあるサッカーチームのホームグランドに隣接しており、スタジアム・オブ・ライト(灯のスタジアム)といわれると話してくれた。炭鉱の街であったことから、ヘッドライトを付けた労働者たちがサッカーを愛し、応援してきたことにちなんでいるとのことであった。こんなところにも歴史を感じさせられ、ボランティアの優しさもあって感激したのであった。
ペタンクの会場は、セージ・ゲーツヘッドというコンサートホールに隣接した野外特設会場であった。日本チームは、練習の機会が少ないこの競技ながら、1勝2敗の善戦であった。戸塚さんとともに戦ったもときさんは、大のサッカーファンで、世界大会参加にあたり、ニューキャッスル・ユナイテッドのユニフォームを用意するほどの熱の入れようであった。もときさんは、心移植後、折に触れドナーのことを考えてきたと話してくれたことがある。今回も、ニューキャッスル教会で行われるイベントでドナーに祈りをささげることを、ずっと心待ちにしていたという。

もときさん戸塚さん
ペタンク競技に出場したもときさんと戸塚さん

参加者中、最高齢の落さん(67歳)は競技もなく、本日はご夫婦で休養日とされるとのこと。心臓移植者である落さんは、世界大会はいつもご夫婦での参加で今回が3回目だ。奥様の美代子さんのお話によると、移植に至る前、人工心臓を装着して家で過ごす間、朝から晩までの行動での器具への気遣いや、シャワーや消毒のことなど、徹底した配慮を続けられていたという。ご本人も心不全を抱えて大変だが、ご家族の苦労は並大抵のことではない。そして、心臓移植のあとでは、さまざまな行動において楽になったといわれた。そして、10年を経て初の参加の時にお会いしたときの、落さんの穏やかな表情と、これらの苦労を想像もさせない美代子さんの優しいお顔は、今回も変わらなかった。
17時からのチームマネージャーミーティングのため、ニューキャッスルの中心にあるシビックセンターに丸井マネージャーは出かけ、翌日以降の予定や注意事項のほか、昼のサンドウィッチにベジタリアンと書いてあったのに卵が入っていた、などという意見を聞いていた。今日の戦績は、各自のスマホでのラインのやり取りからすでに分かっていたが、18時の日本チームミーティングで全員の無事を確認しあって、成果をたたえ、ついに大会らしくなってきたことを皆が実感したのであった。