大学生から医療従事者へ

その後の大学生活はいかがでしたか?

鈴木さん
大学に通いながら血液透析の治療も受けていたのですが、今の様にエリスロポエチン製剤がありませんでしたので、ヘマトクリット値が18~19%というような状態が続いており、大学までの上り坂を上るのが、かなり厳しかったのを覚えています。他の生徒と一緒に体育の授業等にも出ていたのですが、瞬発力はあるものの、持久力がありませんでしたね。

医療関係のお仕事にはいつ、どの様なきっかけで就かれたのですか?

鈴木さん
仕事に就いたのは、今から33年位前です。
血液透析治療を受けていた大学2年生の時、当時は大垣から大学に通っていたのですが、朝も非常に早く、夜は透析を受けてから帰宅すると、自宅に着くのが夜中の1時過ぎになっていました。寝る時間も十分に取れない中、大学の授業についていくのが大変でしたので、透析を受けながらベッドの上で勉強していました。そんな私の姿を見て、とても真面目な学生だと思ってくれたのか、透析施設のスタッフの方が、「一緒に仕事をしないか!」と声を掛けてくれたのです。
大学生でしたので、卒業してから、という事でも良かったのですが、透析治療を受ける中で経済的にも親に面倒を掛け続けるのも嫌でしたし、卒業してから確実に就職できるかどうかも分かりませんでしたので、大学を中退し、働き始めました。

そして献腎移植手術へ

献腎移植の登録はいつ頃されたのですか?

鈴木さん
医療従事者ですので、移植に関しての知識はありましたが、生体腎移植に関しては、正常な人の部分をもらわなければいけないという事や、親や兄弟からもらうという事にはとても抵抗がありましたので、望みませんでした。透析を開始して割と早い段階で、献腎移植登録をしました。

その後どのくらいで移植手術に至ったのでしょうか?

鈴木さん
恐らく、献腎移植登録をしてから数年後だったと思います。

自分に移植の機会が回ってくると思っていらっしゃいましたか?

鈴木さん
献腎移植の状況は聞いておりましたので、すぐに自分に機会が回ってくるとは思っておりませんでした。自分自身が医療従事者として働いている間に、少しずつダイアライザーの性能も良くはなってきておりましたし、何年も透析治療を受けた場合にどうなるかという事は、今に比べて分かっておりませんでしたので、そのまま透析治療で長く生活していけるのではないかと思っていました。どうしても移植しなければならないとは思っておりませんでした。

現実には、その様な状況の中、移植をすることになったと思うのですが、実際に移植が決まった時の状況や心境はどうだったのでしょうか?

鈴木さん
移植手術前日に、病院で働いていた時にお電話を頂きました。その当時、深夜に透析を行うクールがありましたので、23時から6時くらいまで透析を行い、そのまま名古屋第二赤十字病院に行きました。ドキドキするわけでもなく、睡眠もきちんと取り、移植手術に臨みました。
その日は祭日でしたので、病院も人が少なく、一番覚えていることと言えば、自分と同じ歳位の若い看護師さんに剃毛をしてもらったのが恥ずかしかったという事くらいです(笑)。手術に向かうベッドに寝ていたところ、上から打田先生に「打田です」と、ご挨拶を頂いたのを覚えています。

そして手術が終わった後は、どのような心境でしたか?

鈴木さん
すべてがバタバタっと決まり、何も考える暇が無く進みました。手術後初めて言った言葉は、「おしっこは出ている?」という事でした(笑)。きちんと出ている事を確認出来、とても嬉しかったです。
ただ、透析を約6年位受けていましたので、膀胱容量が小さくなってしまっており、最初の頃は夜中1~2時間毎に起きなければならなくて大変でした。

当時は移植手術の際、どの位の期間入院をしていたのでしょうか?

鈴木さん
あの頃は、「40日位入院する」と言われていました。私より以前の方々が、「入院は90日必要」と言われていた頃から比べると、非常に短くなっていました。
先日移植をされた方からは、「現在は移植手術後、2~3週間で退院出来る」と聞き、驚きました。