市立札幌病院 レシピエントインタビュー第4回目は、約3年前に献腎移植手術を受けられた、島谷英敏さんです。腎炎との診断を受けてから透析治療を始められるまでのお話や、その後約14年の透析治療を経て献腎移植手術を受けられるまでのお話、移植後の数多くの感動や、約500坪の農地で色々な作物を育てていらっしゃる現在の様子など、様々なお話をお聞きする事が出来ました。
島谷さんが移植を受けるまでの経緯
- 1979年11月 腎炎の診断
- 1995年5月 ブラッドアクセス手術
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1995年11月 血液透析導入
- 1996年 献腎移植希望登録
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2009年頃 献腎移植手術
仕事、野球、通院の日々
腎不全の症状はいつ頃から出始めたのでしょうか?
島谷さん:
1977年頃、仕事中に突然の吐き気と微熱があり、風邪かと思い近くの診療所に行きました。尿検査で蛋白と血が混じっていたため、しばらく通院で様子を見ていました。その診療所の先生には家族皆が診て頂いており、先生も厳しい方だったので、通院は定期的にしていました。
1979年の春頃、状態の改善が見られなかった為、紹介状を持って総合病院の泌尿器科を受診し、同年11月に腎生検により腎炎と診断されました。その10年後に自分の原疾患がIgA腎症だという事を知りました。
風邪を引くような事はよくあったのですか?
島谷さん:
子供の頃は風邪を引きやすかったですね。よく扁桃腺を腫らし、高熱になることが多かったです。熱が40度を超える事が過去2回ほどありましたので、今から思えば、それが1つのきっかけだったのかもしれません。
スポーツなどはやっていらっしゃったのですか?
島谷さん:
スポーツはとても好きで、学生時代は冬スキーを中心に、社会人となってからは、職場の野球部に所属する等、活発に体を動かしていました。
社会人となってからは仕事と野球に忙しい毎日だったわけですね。
島谷さん:
そうですね。当時は野球が盛んでしたので、仕事が終わってから夜遅くまで練習をしていました。仕事も今のように週休2日ではありませんでしたし、忙しい時にはかなり夜遅くまで仕事をすることもありました。
体調の面で多少の心配はあったのですが、当時はお酒、煙草なども含め、健康への気配りはしていませんでした。仕事をして、野球をして、病院に行って、という生活を続けていました。
総合病院を受診されてからは、定期的に通院はしていらっしゃったのですか?
島谷さん:
総合病院受診後しばらくは2~3ヶ月毎に通院し、血液検査と尿検査を受けていました。
1985年頃、尿蛋白や尿潜血の上昇もあり、担当医の紹介で腎臓内科の専門医がいらっしゃる別の総合病院に転院しました。
自分では特別自覚症状は無かったのですが、徐々に状態が悪化していたのだと思われます。その後も同様の検査を定期的に受けていました。