千葉東病院レシピエントインタビュー第4回目は、約2年前にお母様がドナーとなり、生体腎移植手術を受けられた高橋渚さん(仮名)です。
家族や、多くの友人に支えられて移植手術を乗り越え、移植後、とても充実した生活を送っていらっしゃる高橋さんから、さまざまなお話をお聞きすることができました。

高橋さんが移植を受けるまでの経緯

  • 2001年(14歳)頃 IgA腎症と診断される
  • 2003年(16歳) 血尿が出て検査入院するが大きな変化はないと診断される
  • 2011年12月(24歳) 血液透析導入
  • 2012年5月(25歳) 生体腎移植手術

突然の透析導入

病状が出始める前の生活について教えてください。

高橋さん
子どものころは、他の子どもと同じように普通の生活を送っていましたが、14歳のころにIgA腎症と診断され、蛋白尿が出るようになりました。 IgA腎症と診断されてからは、塩分を1日5gに抑えるように気を付けて生活していました。
16歳の時に血尿が出て検査入院をしましたが、腎生検ではIgA腎症に大きな変化はなく、以後は普通に生活をしていました。ただ、高校生のころは常にむくみがありました。調理実習などで、他の生徒と一緒に塩分制限の無い食事を作って食べると、次の日の朝は全身がむくんでいる、ということもありました。

卒業後は、どのようなお仕事をしていらっしゃったのですか。

高橋さん
洋服やアクセサリーなどの販売員をしていたのですが、立ち仕事でしたので、むくみが常にあって、体がだるくなることもありました。

血液透析導入前は、何か自覚症状があったのでしょうか。

高橋さん

高橋さん
透析導入する少し前から、体調の変化には気付いていました。自分の口臭が気になり始め、こまめに歯磨きやうがいをしていました。ただ、一緒に生活している家族からも、口臭のことは何も言われなかったので、「自分が勝手に思い込んでいるだけなのかな」と思っていました。あとは、車を運転すると、数十分の距離でも脚がパンパンにむくんでしまったり、トイレの回数が少なくなり、便通が無くなったりしていました。それと、ちょっとしたことでもイライラしていましたね。
また、自分では元気なつもりだったのですが、周りからは、「顔色がすごく悪いね」と言われていました。階段の上り下りだけで息切れするようになり、「さすがに病院に行った方がいい」と言われて病院に行きました。すると、いきなり腎不全と診断され、「クレアチニン値が異常に高いので、すぐに入院してください」と言われました。


圷先生
それまでは、定期的に通院していたのですか。


高橋さん
いいえ、病院には行っていませんでした。16歳の時に腎生検をした際には、クレアチニンの数値がそこまで悪くなかったので、漢方薬のようなものを処方してもらいました。ただ、その薬はすごくまずかったので、最初の1年は飲んだのですが、その薬が無くなってからは病院に取りに行かず、薬も飲まなくなりました。それから8年くらいは一切病院に行きませんでした。「大丈夫だし、行かなくてもいいかな」と思っていましたね。

そして8年後に病院に行ったら、すぐに透析だと言われたのですね。

高橋さん
はい。足首の静脈と右腕にカテーテルを入れて透析を行いました。


圷先生
シャントができるまでの一時的なものですね。急性腎不全の場合は、いったんそれでしのいで、腎臓が良くなれば抜くというものです。

温かい家族と友人に囲まれて

突然透析導入になった時には、移植医療については知っていましたか。

高橋さん
透析導入するまでは、移植については知りませんでした。入院したその日に家族が呼ばれて、「移植・血液透析・腹膜透析の3種類の治療法があります」という説明を受けました。
いきなりでしたので、「移植って何?」という感じになってしまい、その日の夜に家族と相談をしました。そうしたら、父、母、兄の3人ともが、「移植をするのであれば、腎臓をあげるよ」と言ってくれたのです。

家族全員がドナーの検査をしたのですか。

高橋さん
はい。ただ、父は以前、前立腺を患っていたので、腎提供が難しいという話になり、母か兄が提供してくれるということになりました。そうしたら母が、「私の腎臓をあげるよ、私の一部を使って」と言ってくれました。

移植手術を受けることを決断できたのは、なぜですか。

高橋さん
母が、「ドナーになってあげるよ」と言ってくれたことが、一番大きかったですね。また、友人たちの励ましや支えもあり、移植手術をしようという気持ちになることができました。
友人たちは、腎不全と言われて入院したその日に、お見舞いに来てくれました。最初は、「腎不全って何?」という感じだったのですが、その後、みんながそれぞれに調べてくれて、食事制限の情報などを交換し合って、私自身よりも詳しくなっていました。

とてもいい友達ですね。

高橋さん
そうなのです。励ましの言葉をくれたり、みんなでご飯に行っても、私がカリウム、水分、リン、塩分を取り過ぎないようにと気を使ってくれ、サラダなどを、「今日はこれだけね」と言って、取り分けてくれたりしました。


地元の友人たちと一緒に