腎移植は少量の免疫抑制薬の継続的服用のみで、健常者と同様な生活が送れる理想的な腎不全の治療です。腎移植を受けると透析と比べさまざまな制約が軽減されます。今回はその1つであるスポーツを取り上げたいと思います。
透析中にスポーツができないというわけではありません。ただ水分管理は困難ですし、血液透析の場合、シャントからの出血があれば命に関わる大出血につながります。透析を受けながら激しいスポーツを行うのは困難です。
腎移植を受けてプロスポーツの選手として活躍した、また活躍中の選手を紹介するシリーズ、第2回目の今回は、NBAのアロンゾ・モーニング選手です。
2.アロンゾ・モーニング
彼もNBA(アメリカプロバスケットボール)で”Zo”という愛称で親しまれたファイトあふれる選手です。NBAオールスターに7回も選ばれた大スターですが、やはり巣状糸球体硬化症で腎不全となり一旦引退。
しかし2004年に腎移植を受け、現役復帰し、2006年には腎移植前でもなし得なかった悲願のNBA優勝(マイアミ・ヒート)を果たしました。この時私はちょうどアメリカ留学中でマイアミ大学に勤務していました。彼のプレーをテレビや実際の試合で目の当たりにしましたが、ものすごい活躍ぶりで、腎移植に携わる私としては感動的な年でありました。
彼はジョージタウン大学のスター選手で同大学卒業後の1992年のNBAドラフトで一巡目に(シャキール・オニールに次ぐ全体2番目)でシャーロット・ホーネッツから指名されNBA入りしました。1994年バスケットボール世界選手権にドリームチームIIのメンバーとして出場し優勝。3年間ホーネッツでプレーした後、95-96シーズンはマイアミ・ヒートに移籍。98-99シーズンと99-00シーズンにはNBA最優秀守備選手賞を受賞しました。2000年に開催されたシドニー・オリンピックでアメリカ代表としてプレーし、金メダルを獲得。
その直後、巣状糸球体硬化症という腎臓病であることが判明。選手生命にかかわる事態となり、2003年、いとこをドナーとした生体腎移植を受け現役復帰しました。オニールやドウェイン・ウェイドらと共に2006年には彼のNBAの選手としてのキャリアで初めてのNBA優勝を果たしました。優勝が決まったNBAファイナル第6戦でモーニングは5ブロックと大暴れし、チームの優勝に大きく貢献していました。その後2009年3月30日引退し、彼の背番号「33」は永久欠番となりました。現在は様々なチャリティーを主催する心優しい大男です。
※ここに掲載したYouTubeで相手のシュートをブロックしまくっているのがモーニングです。
次回は、現在もプロとして活躍しているサッカー選手をご紹介します。お楽しみに。
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移植コーディネーターとは、移植を受けられる患者さまと移植チームの橋渡しをする、移植医療の調整役です。腎移植に関する素朴な疑問や質問など、お気軽にお問い合わせください。いきなり医師に話を聞くのは気が引けるといった方の相談にも応じています。