熊本赤十字病院 レシピエントインタビュー第3回目は、約5年半前にお母様がドナーとなり、生体腎移植を受けた原美樹さんです。原さんは35歳の時に健診で腎機能の低下を指摘され、その後保存療法を続けましたが39歳で腹膜透析導入となり、その約4カ月後には血液透析に移行しました。腹膜炎やシャントトラブルなどの厳しい状況を乗り越えて移植に至るまでのお話や、移植後、希望の仕事に就き、充実した生活を送られている様子など、ドナーとなられたお母様を交えさまざまなお話をお聞きしました。
原さんが移植を受けるまでの経緯
- 2007年(35歳) 市の健診で血圧と尿検査の異常を指摘される
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2011年8月(39歳) 腹膜透析導入
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2011年12月(39歳) 血液透析に移行
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2013年2月(40歳) 生体腎移植手術
透析導入へ
腎不全の症状が出始めたのはいつ頃ですか。
原さん(レシピエント):
学校の健診で蛋白尿が出たことはありましたが、再検査では問題がなかったので、特に気にしていませんでした。2人目の子どもを妊娠していた時にも蛋白尿が出て一時期入院しましたが、先生からは、「出産すれば正常に戻るでしょう」と言われていました。その後、35歳の時に周りからの勧めもあって初めて市の健診を受けたところ、血圧が180/120mmHgもあり、クレアチニン値がすでに1.5mg/dLになっていたため、すぐに大きい病院に行くように言われました。当時はクレアチニンという言葉さえ知りませんでした。
その後は、どのような治療をされていたのですか。
原さん:
それからの5年間は、炭のような黒い薬(尿毒症の毒素を消化管内で吸収して便と一緒に排出する薬)を飲んだり、食事療法を行ったりと、いろいろと頑張って治療を続けましたが、腎機能は徐々に悪くなっていき、不安が募るばかりでした。
その時は、いずれは透析をしなければならないという認識はありましたか。
原さん:
当時は佐賀県に住んでいましたが、主治医から、「将来は透析が必要ですので、覚悟しておいてください」と言われました。今思えば、その時が一番ショックでしたね。
当時、腎移植については知っていましたか。
原さん:
知りませんでした。その後、主人の転勤で熊本県に引越し、転院先の先生に血液透析、腹膜透析、腎移植の3つの治療法があることを教えていただきました。それから自分でもいろいろと調べて、最終的に透析が必要な状態になったときには、まずは腹膜透析を選択しました。
なぜ腹膜透析を選んだのですか。
原さん:
私は血管がとても細いので、血液透析で針を刺すのが嫌だったのと、主治医から、「原さんの場合はきちんと自己管理ができると思うので、腹膜透析をされてはどうですか」と勧められたからです。
その時には腎移植も検討したのですか。
原さん:
その病院では腎移植を行っていませんでしたし、先生からも特に移植を勧められることはありませんでしたので、腹膜透析を選びました。
腹膜透析導入後の体調はどうでしたか。
原さん:
腹膜透析導入前は体調的につらく、家事もできない状態でした。朝、子どもや主人を送り出すと、そのままソファに倒れこみ、昼過ぎまで起き上がれない日々でしたので、導入のための入院が決まった時には、正直ほっとしたことを覚えています。
しかし、導入後すぐに腹膜炎を2度起こしたり、埋め込んだカテーテルにうまく透析液が流れなかったりと、導入前に説明されたリスクが全て起こりました。それから血液透析に移行するまでが一番つらい時期でした。
血液透析に移行した後はどうでしたか。
原さん:
血液透析が始まると、体力が戻り、家事もできるようになりました。ただ、私は血管がとても細いので、穿刺される方が毎回とても苦労されていましたし、シャントが育たず、すぐに流れが悪くなり、2カ月に1回くらいPTA(経皮的血管形成術)※をしなければなりませんでした。そのため、家の近くの透析施設ではなく、家から1~2時間もかかる透析導入した病院に、そのまま週3回通い続けていました。
※PTA:先端に風船(バルーン)のついたカテーテルをシャント内の狭くなった部分に進めて、そこでバルーンを膨らませることによって狭くなった部分を拡げる方法。