母の強い思い

そのような状況もあって、腎移植を考えるようになったのでしょうか。

原さん
そうですね。透析の先生が、「原さんは血管が細いので、シャントのトラブルが多くて大変だし、通院時間もかかるので、腎移植を検討してみたらどうですか」と言ってくださったので、家族にも相談し、まずは話だけでも聞いてみようということになり、熊本赤十字病院に紹介状を書いていただきました。

熊本赤十字病院ではどのようなお話を聞きましたか。

原さん
まず母と一緒にレシピエント移植コーディネーターの方からお話を聞き、その後、内科の豊田先生にお会いしました。先生は、私たち家族のことや当時の私の生活状況をいろいろと聞いてくださり、3つの治療法について具体的に分かりやすく説明してくださいました。
当時はまだ移植をすることは決めておりませんでしたが、こちらの先生やスタッフの方々はとても信頼できると感じました。

当時お母様は腎移植についてご存知でしたか。

お母様

お母様(ドナー)
腎移植という言葉自体は、テレビか何かで聞いて知っていましたが、移植に関する知識はありませんでした。
移植コーディネーターの方が、血液透析が体に与える影響について、透析を1年受けると3年くらい年を取る、というような説明をされていたことがとても印象に残り、とにかく、どうにかして娘を元気にしたいと思いました。

その後、ドナーはどのようにして決まったのですか。

原さん
豊田先生に家族構成をお伝えすると、「もし可能であれば、弟さんをドナー候補として考えてみてはどうですか」というお話がありました。弟に相談したところ、弟は、「そんなに悪い状態なら、僕のをあげるよ」と言ってくれたのですが、弟がドナーの適応条件を満たしていなかったことと、私としても弟にも家族があるので、そこまでして移植をしなくても、私が透析を続けていけばいいと思いました。

お母様はどのようにお考えでしたか。

お母様
先生方のお話を聞いて、絶対に私がドナーになろうと思っていました。でも、当時私は72歳だったこともあり、とにかく検査をしてみないと、提供できるかどうかは分からないということでした。

山永先生
原さんのお母様の検査の結果、腎臓の大きさや機能に左右差がだいぶあることが分かりました。右の腎臓のeGFRが60としたら、左が33くらいしかなかったのです。一般的にドナーには機能が良い方の腎臓を残すので、今回もそのようにしたのですが、腎臓の形状も含め、外科手術としては難易度の高いものでした。原さんやお母様には、手術も難しく、術後もクレアチン値がどこまで下がるかは分からないということをお話しし、再度移植を受けるかどうかを検討していただきました。

お母様
先生からは、「もしかしたら移植腎は1年くらいしかもたないかもしれない」と言われたのですが、「1年でもいい、半年でもいい、娘が楽になるのなら、普通の生活ができるようになるのなら、とにかく移植してください」とお伝えしました。

お母様は腎提供に積極的でしたが、原さんご自身はどのように気持ちを固めていったのですか。

原さん
母がドナーになることを申し出てくれたことはとてもうれしかったのですが、私は母の年齢のこともあり、術前の検査で、移植は難しいと判断されるのではないかと思っていました。でも母は、「手術できるかどうか、一歩ずつ前に進んでみましょう」と言ってくれました。いろいろ心配はありましたが、半年くらいかけて少しずつ検査をパスして行く中で、自分なりに移植についても勉強し、徐々に気持ちを固めていきました。

お母様は、ドナーになることに対して不安はありませんでしたか。

お母様
私は何事もあまり深く考えないタイプなので、ただ娘が楽になればいいと思っていました。先生方がとても一生懸命でしたので、不安や心配はありませんでした。
また、豊田先生から、私たち親子であれば、術後の約束もきちんと守れるので大丈夫だと言っていただけたのも心強かったです。

坂本Co

坂本レシピエント移植コーディネーター
腎移植を受けていただくためには、移植後も必ず治療に関する約束を守っていただけるのが大前提ですので、私もお二人は大丈夫だと確信していました。

実際の移植手術はどうだったのですか。

山永先生
お母様の腎臓の質的な問題やご年齢のことがあり、術前は心配が多かったのですが、実際に手術をしてみると、原さんのお腹に入るべき腎臓だったかのように綺麗にピタッとはまり、最終的にはクレアチン値も1.0mg/dLを切り、蛋白尿も出ていません。術前の予想よりもはるかに良くなりました。
原さんとお母様の体格差が少なかったことも良かったのではないかと思います。お母様の腎臓は私たちが思っていた以上の働きをしてくれたので、結果的にお二人の想いをつなぐことができてうれしいですね。