妹・家族からの愛情

杉山さんご自身は、息子さんが生体腎移植手術を受ける前から、腎移植に関しての知識はお持ちだったのでしょうか?

杉山さん
詳しい事はもちろん知りませんでした。
私は幼い頃から腎臓が悪かったので、私の主人は私に、「ぼくの腎臓を君にあげるよ」とずっと言ってくれていました。私は5人兄弟の4番目なのですが、私の兄弟姉妹も主人と同じように以前から「腎臓をあげるよ」と言ってくれていました。家族からの温かい言葉をもらってはおりましたが、現実的に家族からの移植が出来るとは思っておりませんでしたし、私は主人や兄弟姉妹からもらうつもりもありませんでした。
その後、息子の腎臓が悪くなり、すぐに透析をしなければならない状況になった時に、移植医療の説明を受け、冗談っぽく話をしていた世界が本当になり、息子の生体腎移植手術が現実となりました。


その後杉山さんご自身が移植手術を受けるまでには、どの様な経緯があったのでしょうか?

杉山さん
主人が息子に腎臓を提供しましたので、私はなんとか透析に入らないように保存療法の勉強会に通い、食事療法も含めて頑張っていました。
私がとうとう透析に入らなければならない状態になった時に、私の妹が、移植手術を受けた息子とそのドナーである主人がとても元気なのを見て、「お姉ちゃんは私しかいないでしょ。」と言ってくれました。以前は私の兄や姉が腎臓を提供してくれるという話をしてくれていたのですが、体調等の面で難しい状況であった為、妹が自らその様な話をしてくれました。びっくりしたと同時に本当に嬉しかったです。
実は妹のご主人が、「お姉さんに腎臓をあげれば?」と言ってくれたそうです。妹が「本当にいいの?私が将来腎臓の病気になったらどうする?」と言ったら、妹のご主人は「そうなったら私の腎臓を君にあげるよ」と言ってくれたようです。
妹が自らの腎臓を提供してくれるという話をしてくれたものの、私自身は一旦透析を受けないと、腎臓を頂けるありがたみが分からないと思いましたので、CAPDを選択し、透析を開始しました。

透析治療は順調でしたか?

杉山さん
朝起きて6時の透析、その後、お昼に透析でしたので、午前中は家で家事をして、その後夕方5時の透析までにやるべき事をこなしていました。体のつらさはほとんどありませんでした。食べ物の制限に関しても昔から行っていましたので、つらいという感覚はありませんでした。食べ物に関しては、今でも家には調味料としての「塩」を置いていません。
幸せな事に、私はCAPDを受けていた期間中、体調が悪いと感じることはありませんでしたので、腹膜炎にならないようにだけ、とても気を付けて生活していました。家の中も消毒し、病院に指導された通りに透析を行う部屋を作り、その部屋で透析をしていました。1年7カ月の期間、順調にCAPDを行う事が出来ました。
そしてCAPD開始後、1年7カ月後に、生体腎移植手術を受けました。