西村さんが第二子である光雅くんを妊娠したのは今から約5年前。
地元の産婦人科に通っていましたが、2回目の定期検診で胎児のお腹に黒い影のようなものが見つかりました。 その日のうちに北九州市立医療センターを受診すると「胎児の腹水が溜まっている、原因は調べてみないと分からないが、いつ死んでもおかしくない状態」と医師から伝えられました。
胎児治療に実績のある先生の紹介を受け、在胎20週(妊娠5ヶ月)で胎児尿路・羊水腔シャント術(胎児の尿路と羊水腔間にカテーテルを留置して、貫通させる胎児手術)を行い在胎36週(正期産)で予定帝王切開にて出産。
出産後、光雅くんの検査で、尿道狭窄・左膀胱尿管移行部狭窄・右膀胱尿管逆流が判明し、膀胱瘻(膀胱内に直接カテーテルを挿入して排尿する方法)、左尿管瘻造形手術を行いました。
出産時に光雅くんは既に慢性腎不全であり、将来的には移植が必要になると医師から言われていました。1歳6カ月になるまでに6回の尿路感染により腎機能を失い、末期の腎不全となりました。そして北田先生と出会い、移植が実現することになります。

移植前の状況について

出産後の光雅くんの様子を教えて下さい。

西村さん:
生まれてから半年間はNICUで過ごしました。 その後も2・3ヶ月に一度はカテーテルによる尿路感染の為入退院を繰り返し、風邪も引きやすく肺炎にまで悪化する事が度々あり、ICUでの管理が必要な時もありました。退院後も2週間に一度の通院の度に採血とエポジン(造血作用のある薬)の注射がかかせませんでした。

退院してからの光雅くんの食事や生活はいかがでしたか。

西村さん:
食事に関しては、ミルクの飲みが悪く、1日に必要なミルクの量を飲ませるのにも苦労しました。更に離乳食の時期になると全く受け入れようとしてくれず、あらゆる手段を講じてもダメだった為、最終的には嫌がる手を必死に抑え、無理やり飲みこませていました。
移植手術には最低10キロの体重が必要と当時の医師から言われておりましたので、毎食のカロリーや量、病院での血液検査の結果と照らし合わせ、体重・BUNなど、毎日電卓をたたきながら徹底した食事管理を行っていました。
日常生活においては、尿を2本のカテーテルで管理し、尿が溜まる袋を常にぶら下げていた為、外出時には好奇の目にさらされていました。成長は遅く、1歳を過ぎても歩く事が出来ませんでした。1歳半でようやくつかまり立ちが出来るようになりました。

腹膜透析はせずに移植を決意していたのですね。

西村さん:
先天的な腹壁の問題などから透析は難しかった事と、親としても「これ以上息子の体に管を挿したくない」という想いがありました。 その為、出産後早い段階で移植に向けて医学書やWEBで情報収集をしていました。

移植に向けての準備から移植後について

北田先生との出会いを教えてください。また、お互いどの様な印象を受けましたか。

西村さん:
当時のこども病院の主治医の先生より九州大学の北田先生を紹介していただきました。
こども病院にはなかなかいらっしゃらないちょっと異色な雰囲気だったので、お見かけした際にすぐにこの人だと気付きましたね。

北田先生:
先に話は聞いておりましたので、自分からこども病院に出向きました。光雅くんを初めて見て率直に「元気で可愛い子だな」という印象で、まずは安心しました。もちろん話を聞いてどうにかしないといけないという責任感も沸いてきました。

北田先生との会話の後、移植を決意したきっかけや理由をおしえてください。

西村さん:
光雅が生きていく為には移植しか道が残されていなかったのは事実ですが、直観的に「この先生ならお任せ出来る、お任せしたい」という想いになりました。先生は真っ直ぐに私達の目を見て話をしてくださいましたし、先生の言葉には迷いがありませんでした。
また、そのお話の内容もさることながら、北田先生の偽りのない態度に深く感銘を受けたのを覚えています。

北田先生:
幼児の生体移植は非常に難しい手術です。そのリスクも十分にお伝えしましたが西村さんは、私にお子さんの命、奥さんの命を預けてくれる決心をしてくださいましたね。
私は逆に、大切な命を預けてくださった事に感謝と大きな責任を感じました。

移植手術までの待機期間は約半年だったようですが、その間なにか治療はされましたか?

西村さん:
投薬治療以外は特にしてないです。でも光雅が少しでも大きくなる様に食事管理は変わらず続けていました。

通常よりも移植までの待機期間が短いですね。

北田先生:
今、九州大学病院での移植待機期間は平均1年ですが、子供の場合は最優先で手術日を組んでいます。