兵庫県レシピエントインタビュー第4回目は、約2年前、2歳の時に御祖母様がドナーとなり生体移植手術を受けられた、上田光希くんです。突然の入院から移植手術に至るまでのお話や、移植後再び元気になった光希くんの様子などを、お母様、お父様、そしてドナーとなられた御祖母様からお聞きすることが出来ました。
光希くんが移植を受けるまでの経緯
- 2011年6月(2歳) 嘔吐があり近医を受診 腎不全と分かり兵庫医科大学病院に入院
- 2011年9月 腹膜透析用チューブ留置手術
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2011年10月 生体腎移植手術
突然の入院
病状が出始める前はどのようなお子さんでしたか。
お母様:
光希は3600gと大きく生まれ、風邪もほとんど引かず、食事もたくさん食べる、とても元気な子でした。腎不全ということが分かるまでは特に何もありませんでしたので、そのような大きな病気があるとは思いもしませんでした。
どのようなきっかけで病気がわかったのでしょうか。
お母様:
2歳になった頃、嘔吐したため、近くの病院に連れていきました。しばらく経過観察をすることになったのですが、なかなか良くならないのでエコーをとってもらったところ、腎臓の部分が真っ白で、「この子の腎臓は普通ではない」ということがわかりました。すぐに血液検査をしたところ、腎不全だということがわかりました。
この時点で、近所の病院ではもう診ることが出来ないということで、兵庫医科大学病院を紹介され、すぐに入院となりました。
移植医療との出会い
その後、どのような経緯で移植に至ったのでしょうか。
お母様:
兵庫医科大学病院に入院した時点で、「透析をしたとしても最終的に助かる方法は移植しかないので、移植をする方向になっていくだろう」とのお話でした。
当時、移植についての知識はどのくらいお持ちだったのでしょうか。
お母様:
移植をすることになるだろうという話を聞いてから、自分でインターネットや本でいろいろと調べました。私自身も看護師免許をもっているので、ある程度移植に関しては知っていたつもりでしたが、実際インターネットや本で詳しく調べてみると、知らないことが多いことに気付かされました。術後、免疫抑制剤を飲まなければならないということや、感染のリスクが高いということくらいしか分かりませんでしたので、病院で移植についての利点・欠点などを何度も丁寧に教えていただきました。
先生、兵庫医科大学病院では小児の腎移植は年間どのくらい行われているのでしょうか。
野島先生(泌尿器科・腎移植センター):
小児の移植は頻繁にあるものではなく、当院では年間1~2例です。
谷澤先生(小児科):
日本国内における小児の腎不全発症数は年間100名程度と言われており、それほど多い病気ではありません。当院での小児の腎移植はこれまでの累計でも25~6例だと思います。
祖母からの温かい申し出
ドナーはどのようにして決められたのですか。
お母様:
移植された腎臓が機能する期間を考えると、子ども時代の移植というのは1回行えば一生問題がないというわけではないことをお聞きして、それであれば上の世代から提供した方がいいだろう、という話になりました。
ありがたいことに、私の母(光希の祖母)が快くドナーになることを申し出てくれ、検査の結果、医学的にも問題ないということでドナーになることになりました。
ドナーになる可能性があると知ったとき、どのようなお気持ちでしたか。
御祖母様(ドナー):
ドナーがまだ決まっていなかった時、「私だったらいいな」と思っていました。それは年齢的なことや健康であること、経済的にも社会的にも臓器を提供しても生活に支障がないであろうと自分で思ったからです。
それから、正直、「他の人に決まったら、応援するほうがしんどいな」とも思っていました。むしろ、今まで入院もしたことがなかったので、移植手術はどんなことをするものなのかと、少しわくわくしていました(笑)。
移植医療については以前からご存知だったのでしょうか。
御祖母様:
もともとドナーカードを持っており、万が一のときには提供しようと思ってはいましたが、移植医療についてはそこまで詳しくはありませんでした。
臓器提供にあたっての不安はどのように解消されましたか。
御祖母様:
実は、私は看護師をしていますので、病院も嫌いな場所ではなかったですし、先生方も信頼していましたので、臓器提供に対する不安は全くありませんでした。それよりも、レシピエントである光希の体が小さすぎると移植手術を行えないので、とにかく光希が(手術が可能な状態まで)大きくなってくれるかが心配でした。