兵庫県レシピエントインタビュー第2 回目は、二度の生体移植手術を受けられた、松本節美さんです。24歳の時にお母様がドナーとなられ、一度目の移植手術を受けられた時のお話や、それから28 年後の52歳の時にご主人がドナーとなられ二度目の移植手術を受けられるまでのお話などを、松本さんご本人とご主人からお聞きすることが出来ました。
松本さんが移植を受けるまでの経緯
- 1978年秋頃(22歳) 腎盂炎と診断される 保存療法開始
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1979年4月頃(23歳) 血液透析導入
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1980年6月(24歳) 生体腎移植手術(ドナー:お母様)
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2008年11月(52歳) 生体腎移植手術(ドナー:ご主人)
透析導入へ
腎不全の病状が出始める前はどの様な生活でしたか。
松本さん:
幼い頃は風邪を引くことが多かったのですが、小学校に通うようになってからは健康な普通の生活を送っていました。中学校3年間はバレーボールをやっていました。
いつ頃から病状が出始めたのでしょうか。
松本さん:
高校を卒業して就職し、家電の販売促進の仕事をしていたのですが、22歳頃、体がとてもだるく感じるようになり、朝は瞼が腫れるようになってきたので病院に行ったところ、すでに腎機能が低下していることが分かりました。その後間もなく血液透析導入となりました。
血液透析導入後の体調はいかがでしたか。
松本さん:
透析導入前はかなりつらい状況でしたが、透析導入後は食べることも出来るようになり、体も随分と楽になりました。
母の愛情
移植に関してはいつ、どの様にして知ったのですか。
松本さん:
病院に入院中、テレビのワイドショー番組で、お兄さんから腎臓を提供してもらった方が出演されており、「移植後に子供を産むことが出来た」とお話されているのを観て、移植という治療法があるのを知りました。
私は24歳でしたので、「透析は一生しなければならないけれど、移植をしたらあんなに元気になれるんだ」と希望を持ち、母に「私も移植がしたい」と話しました。
その後、移植担当医の先生とお話しされたのはいつ頃ですか。
松本さん:
透析を開始して数カ月の頃です。先生は「まずご家族の検査をしましょう」とおっしゃいましたが、ドナーは母とほぼ決まっていました。母は移植された方に直接話を聞きに行っていました。
そして検査の結果、母がドナーとなってくれることになり、県立西宮病院で生体腎移植手術を受けることになりました。
移植手術後の経過は順調でしたか。
松本さん:
手術後、すぐには尿が出ず、「一度透析をしましょう」という話があった矢先に尿が出るようになり、その後は順調でした。
移植後、良かったことやうれしかったことはどの様なことですか。
松本さん:
とても前向きになり、仕事や趣味の編み物も出来たことです。編み物は20年以上も続けることが出来ました。
また、移植の9年後に現在の主人と結婚し、最愛の母を安心させることが出来ました。これから親孝行が出来ると思っていた矢先、母は結婚の1年後に亡くなってしまいましたが、きちんと看病が出来たことはよかったと思っています。
その後、お母様から頂いた腎臓はどのくらいの期間生着しましたか。
松本さん:
母の腎臓は28年間生着しました。
生着期間が28年とは素晴らしいですね。日々の生活で気を付けていたことなどはありますか。
松本さん:
とにかく風邪を引かないこと、水分をしっかり取ること、無理をしないように気を付けていました。あとは明るく生きていくことを心掛けていましたね。
ご主人はご結婚された時、奥様が移植をされたことは知っていましたか。
ご主人(ドナー):
母親から腎臓を貰っている、移植をしている、という事は聞いていました。その時に初めて「移植」というものを知りました。妻はいたって普通でしたので、「ああ、そうなんだ」程度に思っていました。